サニーデイズ
第六話
その日ルキアはいつも通りの時間に起こされたが、微妙にいつもと違うことがあった。少し乱暴に、ゆさゆさと揺さぶられる気配。こんな風に起こされたのは、初めてだ。
「ほれ、起きろ」
「うー…いち、ご?」
「なんだ」
いつもと違う声に、目を開けてみると、違和感の正体はすぐに知れた。いつもルキアが起きる時にはいない一護がそこにいて、ルキアをゆすり起こしていた。
「いちごは『がっこう』にいかないのか?」
「今日は休みだ」
「ずっとここにいるのか!?」
「おう」
今日は一護がずっと傍にいることを知って、ルキアは布団からがばりと身を起こした。寝癖で所々跳ねたルキアの髪を直しながら、「顔洗って来い」と言われ、ルキアはそれに従う。廊下を歩いていると、いい匂いがルキアの鼻を刺激した。今日の朝ごはんは何だろう、そんなことを考えながら生活できる楽しさに、ルキアの顔が綻んだ。
今日は何をして遊ぼう。まずは、兄に手紙を書いて、その後少し絵を書いて遊ぼう。一護の顔を描いたら、一護が喜ぶかもしれない。浦原も夜一もテッサイもジン太もウルルも、皆の顔を描こう。あと、兄に大きな箱を貰ったが、あれの中身は何だろう?
「いちご!よんでくれ!」
「…どうしたんだ、これ」
昼食を食べるなりルキアが目の前に積んだ絵本を見て、一護はひくりと頬を引きつらせた。一護の問いに、ルキアは満面の笑みで答えた。
「にいさまにもらった!」
だろうな、そうだろうな、なんてったってタイトルが『わかめたいしのぼうけん』だもんな。その独創的なキャラクターに、この絵本はまさか白哉の手作りなのではないか、という恐ろしい想像がよぎる。しかも、目の前にある絵本はゆうに20冊を越えている。その全てがわかめ大使シリーズで、白哉が淡々と執筆したり、その部下が無理矢理手伝わされたりしている様子がリアルに浮かんできた一護は、ぶんぶんと頭を振ってその想像を頭から追い出した。重要なのは考えないことだ。それで全てが丸く収まる。
ごろりと畳の上に転がったルキアに、同じように畳の上に寝転びながら、一護は『わかめたいしのぼうけん』を読み上げ始めた。
「だめだ!うしろにうらぎりものがいるぞ!」
「どこにだ?」
「たわけ!ここにうらぎりもののぎんぎつねがいるだろう!」
ルキアの指差した場所に、どうやらわかめ大使の妹を虎視眈々と狙う狐が描かれているらしいのだが、周囲の森と区別がつかずに一護は首を傾げた。そもそも、何故わかめなのに森にいるのだろう。疑問は尽きないが、とりあえず物語は佳境に差し掛かっていた。今まで仲間だと思っていた眼鏡が実は悪の親玉だったり、中々ドロドロした話がコミカルな絵で綴られている。今はちょうど、悪の根源であるオレンジ色の頭をした怪物から妹を助け出すために戦っている部分で、わかめ大使の圧倒的な強さに、オレンジ色の怪物はあっという間に倒されてしまった。狡猾なオレンジ色の怪物に騙されていた妹も、わかめ大使が必死に戦う姿で目が覚め、無事に正気に戻った。
「わかめたいしはつよいな!」
「…だな…」
何だか読み上げているだけで疲れたのは気のせいだろうか。しかもまだ、大量に続編がある。夕飯までに読み終わる気がしない。しかし一護の疲労感はルキアには伝わらず、次を読むことを催促してくる。うんざりと、それでも次の本に伸ばしかけた手は、途中で止まった。二人が本を読んでいる部屋に、控え目に現れた気配があった。
「お二人とも、おやつはいかがですかな」
「たべる!」
現れたのはテッサイで、手には盆を手にしている。盆の上には湯飲みとガラスの器がそれぞれ二つ。ガラスの器には、白玉餡蜜が盛られていた。
ルキアは嬉しそうにガラスの器を受け取ると、しげしげと中の物体を眺めた。銀色のスプーンで白く丸い物体をひとつ掬い、ゆっくりと口に入れてみる。もちもちとした食感に、ルキアの顔が輝いた。
「おいしい!」
夢中になって次々と白玉を口に入れる姿に、思わず少しだけ一護の顔も綻びかけた。しかし、「口の中のものを飲み込んでから次を食え!」という指導は忘れない。
早々に自分の容器を空にしてしまったルキアは、ほぼ手付かずの一護の容器をチラチラと見ている。その様子に、一護はもう何度目かわからない溜息を吐くと、ルキアに自分の器を押しやった。
「…夕飯食べられなくなるからな。少しだけだぞ」
「いいのか?」
ルキアは、自分の食料を分け与えられることに慣れていない。一護の顔を伺っていたので頷いてやると、自分のスプーンを差し入れ、ひとつだけ白玉を掬い取った。しっかりと咀嚼し、小さな喉を動かしてこくりと飲み込んだ。
「…もういいのか?」
「ああ。あとはいちごがたべろ」
ルキアの妙な態度が気にはなったが、とりあえず一護も白玉を食べると、ルキアが身を乗り出して「おいしいだろう!?」と聞いてきた。
頷けば、満足そうな笑みで何度も何度も同じ事を聞く。どうやら、美味しい物を一護と共有するという体験が楽しいらしい。一護が頷いたことで自分の味覚が褒められたような気がするのか、一護が食べ終わるまでの間、ルキアはずっと白玉の美味しさについて語っていた。
おやつを食べ終え、空になった器を載せたお盆は、ルキアが片付けることを買って出た。一抹の不安はあったが、両手でしっかりとお盆を持って部屋を出て行く姿は、妙な緊張感が漂うものの、それなりにサマになっている。しばらくそわそわしながら待っていた一護だったが、やがて、軽やかな足音と共にルキアが戻ってきた。どうやら、無事に片付けは完了したらしい。
「わかめたいしのつづき!」
「はいはい」
お気に入りのぬいぐるみを抱えて畳の上にごろりと転がったルキアの横に、一護もまた転がった。続編では、大金持ちになったわかめ大使が土地や会社を買収し、社会的にのし上がっていくというサクセスストーリーが綴られていた。
「…この時わかめ大使が…って、こら、人が折角読んでやってんのに…」
先程までわかめ大使の冒険に興奮していたルキアが急に黙ったのを不審に思った一護がルキアのほうを見ると、ルキアはぬいぐるみを抱きしめ、畳に頬を押し当ててくうくうと微かな寝息をたてていた。
「ったく…」
暖かい日差しに眠気を誘われたのだろう。平和そうに眠るルキアを見ていると、自分まで眠たくなって、一護はふわ、とあくびをした。
絵本を邪魔にならない場所へと押しやって、腕を枕にして一護も目を閉じた。晴れた日の、暖かな風が二人の頬をくすぐる。
「…何とも微笑ましい光景じゃの」
「和みますねえ、こういうの」
そっと部屋を覗き込んだ浦原と夜一は、そんなことを言い合いながら顔を見合わせて微笑んだ。浦原はそっと二人に薄い毛布をかけると、ルキアの頭をそっと撫でた。ついでに一護も。「どちらも子供じゃな」と二人の寝顔を覗き込みながら夜一が笑った。浦原もそれに笑い返して同意を示すと、物音を立てないようにそっと部屋を後にした。
そして、悲劇はその瞬間に起こった。
「あら〜どうも、朽木隊長」
「…」
浦原の挨拶は全く頭に入っていない様子で、白哉は部屋の中の様子を凝視していた。ルキアが。大切な大切な義妹が。男とひとつの布団で。
反射的に刀の柄を握ったが、ルキアの安らかな寝顔を見て思いとどまる。ルキアに傷一つつけず、千本桜で一護を切り刻むことはたやすい。が、あの二人が密着している以上、ルキアに返り血一つつけずに黒崎一護を抹殺する、というのは難しい。本当なら、あの絵本を読んでやるのは自分だったはずなのに。黒崎一護は昼間から何故ここにいるのだ?そう考えた瞬間、「今日休日っス」とまるで心を読んだようなタイミングで浦原が告げる。
「…出直す」
「はい、またどうぞ」
白哉坊も背中に哀愁を漂わせる年頃になったものじゃの、と夜一は妙なところで感心していた。