サニーデイズ
第五話
茜色に染まりかけた空を見て、ルキアは小さなあくびをした。ウサギのいちごと共に、ころりと縁側に転がる。遊びに来た兄(今日は何故か一人だった)は、ウサギの名前を聞いた後、何故だかすぐに帰ってしまったし、絵を描くのも、何だか飽きてしまった。皆何かとルキアを気にかけてくれるけれども、駄菓子屋が賑わい始め、テッサイが夕飯の支度を始める夕方頃は、ほんの少しの間だけ、誰も構ってくれる人がいない一人ぼっちの時間ができる。ジン太とウルルは店番でテッサイは家事、浦原はどこかへと消えてしまった。
そして、一護は、黒い服ではない、別の服を着て朝からどこかへ行ってしまっている。がっこう、と聞いたが、それが何なのかはルキアにはよくわからない。
一護が帰って来たら、また遊んでもらえる。きっと今日も公園に連れて行ってもらえる。いつごろだろう?
そんなことを考えつつゴロゴロと転がっていると、思いもよらず、ルキアを呼ぶ声があった。寝転がったまま頭だけ上げると、黒猫がルキアの方を見ていた。
「なんじゃ、退屈そうじゃの」
「よるいちどの」
「大方、一護のことでも考えておったのだろう。待っておるのか」
こくりとルキアは素直に頷いた。無邪気な反応に、夜一は苦笑する。そして、悪戯を思いついた、とでも言うように目を細め、猫らしくない表情でにやりと口の端を吊り上げた。遠くで、彼女が待っている存在が移動を開始した気配がある。もう一時間と待たずに、彼はここへとやってくるだろう。
「そうか。では、迎えに行くか」
「いちごをむかえに?…いく!」
「儂もルキアには借りがあるしな。任せておけ。…喜助!」
黒猫が鋭い声を張り上げ、しばらく待つと浦原が姿を現した。いつもの服装ではなく、白衣を着ている浦原をぽかんとルキアが見上げる。そんなルキアに頓着せず、夜一は手短に用件を伝えた。
「ルキアを連れて一護を迎えに行く。例の物は用意できているな?」
「ハイハイ。ちょっと待って下さいね」
そう言って部屋を出た浦原は、すぐに何かを抱えて戻ってきた。それは、目を閉じ、薄い黄色のワンピースを着た自分自身で、ルキアはその物体を不思議そうに見上げた。
浦原はゆっくりと抱えていた身体を畳に横たえた。もっとよく見ようと、ルキアがそれを覗き込む。その瞬間を夜一は見逃さず、ルキアの背中めがけて渾身の体当たりを決めた。
ルキアの小さな身体は、黒猫の体当たりで簡単にバランスを崩した。ぶつかる!と思って目を閉じたルキアは、予想した衝撃がないことに驚いた。更に、身体の向きが変わったような気もする。恐る恐る目を開くと、何故か畳の上に寝ていて、夜一と浦原に覗き込まれているところだった。
「わ!」
「よし、準備完了じゃな」
「気をつけて下さいよ?」
「無論じゃ」
ルキアは起き上がると、手を閉じたり開いたりして身体を確かめた。浦原が抱えていた自分と同じ、薄い黄色のワンピースを着ている。黒猫に導かれるまま玄関に行ってみれば、ルキア用の靴がちょこんと置かれていた。恐る恐る、それに足を入れる。
「ほれ、行くぞ」
「はい!」
何とか靴を履き、先導する黒猫をルキアは小走りで追いかけた。
「余所見ばかりしていると転ぶぞ」
「うあ、」
一護と外に出たことはあるが、それは夜で、しかも町並みは足のずっと下にあった。今は見上げなければならない町並みに、興味津々といった様子でキョロキョロと頭を動かしていたルキアは、夜一が指摘したそばから道の小さな小石に躓いた。ぶつかる、と思いぎゅっと目を閉じると、ルキアの身体は予想外に、温かな柔らかいものにぶつかった。そっと目を開けると、先程まで自分を先導していた黒猫の柔らかな毛並みがそこにあった。
「気をつけろ」
「ごめんなさい」
素直にルキアが謝ると、夜一はまたスタスタとルキアの前を歩き始めた。空には大きなオレンジ色の太陽が浮かんでいて、ルキアの横顔を照らした。歩き続けると、自分の左側に公園が見えた。遊びたい、が、我慢して黒猫の後を追う。
自分と黒猫以外いない道の先に、夕暮れ時の太陽と同じ色が見えた。それが見えた瞬間、道案内をしてくれた黒猫を追い越して、ルキアは一目散に駆け出した。
「いちご!」
大きな声で叫べば、驚いた顔をするのがわかった。嬉しくなり、更に速度を上げる。何度か躓きかけたが、奇跡的に転ばずに一護の元へとたどり着いた。一護が膝をついて待っていてくれたので、走った勢いでそのまま抱きつくと、ルキアの頭を大きな手がくしゃりと撫でた。
「いちご!むかえにきたぞ!」
「…ったく…どうやって来たんだ?」
「よるいちどのが…あれ?」
ルキアは後ろを振り向いたが、夜一はいない。きょろきょろと辺りを見渡しても、影も形もない。おかしいなと首を傾げるルキアを尻目に、一護は、夜一がルキアを自分に任せて帰ってしまったことを気配で悟った。
「先に帰ったみたいだし、俺たちも帰るか」
「うむ!」
一護が立ち上がると、ルキアはくるりと向きを変えて元来た道を歩き始めた。無事一護に出会えた安堵感からか、周囲に気をとられて足元がおぼつかないルキアを見かねて、一護は手を伸ばした。
「ほら、つかまってろ。今は夜みたいに、転んでも助けられねぇからな」
「うむ」
この身体では、死神の時のように瞬歩でルキアを助けるわけにはいかない。ルキアの手を引いて、一護は歩き出した。幼女と男子高校生、という奇妙な組み合わせだが、一護は特に気にしなかった。なぜなら、周囲には不自然なほど人の気配がしなかった。それはこの場所だけでなく、霊圧を探ってみると、浦原商店までの道全てに人の気配がまるでない。そして、こんな無茶を軽々とやってのける人物に、一護は一人だけ心当たりがあった。
本人の意思なのか夜一の指示なのかはともかく、この状態を作り上げた意図がなんとなく読めて、一護はルキアに気付かれないように、そっと息を吐き出した。
夜一と浦原が、朽木ルキアにどれだけの負い目を感じているかはわからない。しかし、それを何のためらいもなく自分にまで押し付けてくるのはどうなんだ、と思う。この空間から感じるのは、『朽木ルキアを力一杯甘やかせ』というある意味潔い意思。大方、一護が学校から帰るのを霊圧で察した時点で、この状況は出来上がっていたのだろう。こんな風に、誰の目も気にせずに自分とルキアがゆっくり帰れるように。
「今日は何して遊んだんだ?」
「にいさまとおはなしをして、おえかきもした。じょうずにかけた」
「そうか」
「あと、うさぎのなまえもきめた。いちごだ」
「は?」
「いちごにした」
「…それ、白哉に教えたか?」
「だめなのか?」
当然ながら何が問題なのかわかっていないルキアに、一護は天を仰いだ。そして、赤い髪をした、死神の友人に思いを馳せる。ルキアがこの姿になってから僅かな時間しか経っていないが、こんな風に友人に祈りを捧げるのは、最早数回目な気がする。
…すまない、恋次。とりあえず骨は拾ってやる。だから白哉の八つ当たりに耐えてくれ。俺のせいじゃない。恨むなら上司の不器用さを恨め。
次に会った時にどうやって逃げるかを真剣に考えている間に、浦原商店が見えてきた。ジン太やウルル、テッサイまでがそわそわした霊圧を纏っているのに気付き、一護はそっと苦笑した。全く、大人から死神から、皆この小さな子供に振り回されている。
自分もその一人だという事実は無視して、一護は走り出したルキアに手を引かれ、早足で浦原商店へと向かった。
「ただいま!」
「おかえりなさーい、二人とも」
店先でうとうとと居眠りをしていた浦原が、へらりと笑って二人を迎え入れた。靴を脱ぎ捨て、中に入ろうとするルキアに、『ルキア!靴!』というお兄ちゃん指導が入る。きょとんとしたルキアに、一護はまず自分の靴を揃えて手本を示す。するとルキアは、自分も身を乗り出して、同じように自分の靴を揃えた。
「よし」
一護からは頭を撫でられ、浦原からは「よくできましたー」と褒められ、嬉しそうにルキアが笑った。
手洗いとうがいを済ませると、ふわりといい匂いがルキアの鼻を刺激した。その匂いに釣られ、ひくひくと鼻を動かしながら、ルキアはとてとてと台所へと向かった。台所で忙しそうに動き回っていたテッサイは、ルキアを見るとその手を止めた。小さな湯飲みに温かいお茶を入れると、ルキアにそっと差し出す。ルキアはおずおずとそれを受け取った。
「お腹がすきましたかな?」
「…うん」
「もうすぐできますぞ」
素直に空腹を認めたルキアに微笑むと、テッサイは再び鍋と向き合った。大きな人参や大根があっという間に切り刻まれ、鍋に入れられていくのをルキアはまじまじと見ていた。
そっと湯飲みに口をつける。じわりと温かいお茶は疲れた身体に優しく、その優しさは、今日繋いでくれた一護の手によく似ていることにルキアは気付いた。
(にいさまにおしえてあげよう)
明日も兄が来てくれるかはわからないが、来なかったら手紙を書こう。自分の発見を、きっと兄は喜んでくれるはずだ。それが嬉しくて、ルキアは笑った。