サニーデイズ
第三話
「いちご!」
浦原商店に入るなり飛びついてきた小さな塊を、一護は慌てて受け止めた。両手に持ってぶら下げてみると、それはやはり朽木ルキアだった。
「いちご、わたしはくちきルキアというのだ!」
「は?」
「わたしにはにいさまがいるのだぞ!にいさまはすごいのだ、いちごよりつよい、といっていた!」
「…ちょっと待て」
浦原商店に、なるほど彼女の兄の霊圧の欠片が残っている。大方、ルキアの異常に気付いて連れ戻しに来たのだろうが、ルキアがここにいるということは、案外あっさり退いたのだろうか?
そんな疑問符を頭に浮かべていると、浦原が苦笑しながら近づいてきた。いやぁ、凄かったっスよ、と呑気な声で告げられた内容に、一護の顔から血の気が引いた。
「朽木隊長が一緒に来いって言ったら、黒崎サンも一緒じゃないなら嫌だ、ってゴネて、結局今日のところは帰りました」
「おい、それ…」
「ええ、『いちごもいっしょですか?』って無邪気に聞いて、『いちごにあえないのはいやです!』って華麗に言い放ってましたよ。懐かれましたねぇ」
にやにやと事の顛末を話す浦原に、一護はいっそ頭を抱えたくなった。次に会ったときに、どんな報復に出られるのかと思うと恐ろしい。今頃八つ当たりの対象となっているであろう恋次に、そっと手を合わせた。…なるべく白哉の苛立ちを減らしといてくれ、お前の死を無駄にはしないから。
「それとな…」
下ろせ、と言われて素直に抱えていたルキアを床に下ろすと、ルキアはどこかに走り去り、そしてすぐに戻ってきた。両腕に、何か白いモコモコしたものを抱えている。
「にいさまにもらった!」
得意げに掲げられたのは、今のルキアの抱き枕にちょうど良さそうなうさぎのチャッピーのぬいぐるみだった。聞けば、白哉が帰った数時間後に届いたという。物で義妹を懐柔しようとするその涙ぐましい努力に、一護は人知れず天を仰ぎたくなった。しかし、あれで天然なところもあるので、ただ素直に喜んでもらいたかっただけなのかもしれない。義妹への愛情表現は過剰かつ不器用な男なので、こんなストレートな(しかも、かなり的を射た)贈り物は、天然なのか奇跡が起きたのか、判断に迷うところだ。
「にいさまにおれいのてがみをかいたのだぞ!じをおしえてもらって、じぶんでかいたのだ!」
「がんばったな」
わしわしと頭を撫でてやると、ルキアは嬉しそうに笑った。昨晩よりも、随分表情が豊かになっているのは、もしかしなくても店主のお陰か。何吹き込んだんだか、という思いがよぎったが、悪い変化ではないので、そのまま深くは考えなかった。
「今日、泊まれるんスか?」
「ああ。しばらく友達の所に泊まるって言ってきた」
一護が携えている荷物を指差して、浦原が笑う。過保護っスねぇ、とからかえば、うるせぇ、と睨まれた。
とりあえず、一護の分の夕食まで用意しておいて正解だった。実際に用意したのはテッサイだけど。そんなことを考えながら、浦原はじゃれあっている二人を食卓へと案内した。
「こら!落ち着いて食べろ!」
「いちごはやかましい!」
一護の教育的指導に、ルキアは小さな口を尖らせた。けれどもそれ以上の文句が出る前に、ルキアの米粒やらおかずやらでべたべたになった口元は、一護によって拭われた。
「必死に口の中に入れなくても、誰も取らねぇよ!」
「…そうなのか」
「そうだ」
ルキアが視線で食卓を伺うと、一護以外の者も全員うんうんと頷いていた。実はジン太にだけは、一護が睨みをきかせていたのはルキアには秘密である。
一護の言葉に肩の力が抜けたルキアは、幾分ゆっくりと食事を咀嚼し始めた。けれど、自分の口の大きさを考えずに食べ物を口に運ぶので、ルキアの口からぽろりとおかずが零れた。
「…すまぬ」
「仕方ねぇな」
文句を言いつつも甲斐甲斐しくルキアの口元を拭う一護に、浦原は笑いを堪えきれずこっそりと噴き出した。完全なお兄ちゃんモードに入っている。一護の身についた仕草は、ルキアの世話をあれこれと焼いていたジン太やウルルとは一線を画し、本当の兄だけが持つ面倒見の良さと手際の良さが際立っている。ジン太とウルルが不器用に世話を焼く姿も温かな感情を誘うものだったが、これはこれで微笑ましい。
「いちご」
「何だよ?」
食事も大方終わった、というところで、ルキアが口を開いた。けれど一護の名を呼ぶだけで、すぐにその口を閉じてしまう。わかりやすく何かを逡巡している姿に、その場に居合わせた一護以外の全員は、思わず心中でルキアを応援してしまった。何せ、昼食時はテッサイにお茶を飲むか聞かれ、小さく頷くまでにしばらくの時間を要したルキアである。最早感覚は、小動物を育てるそれに近い。
「…そとにでたい」
「は?」
何か思いつめているからどんな無理難題かと思いきや、ルキアの口から出たのは意外にもささやかな願いだった。けれど、『願望を口に出す』ということに未だ慣れないルキアには大きな決心のいる一言であり、今朝の浦原の言葉を何度も頭で反芻して、ようやく口に出せた我侭だった。
一護は目で浦原を伺った。浦原の視線は「構いませんよ」と告げている。
じゃあ行くか、と簡単に思ったところで、ルキアが相変わらず白い着物を着ているのに気がついた。
「コイツって今普通の幽霊の状態なのか?」
「そっスね。人間には見えません。だから黒崎サンもコッチのがいいデショ」
その言葉と同時に、こつんと浦原に紅姫で額を突かれた。死神化した一護は、ルキアを早速抱きかかえた。
「んじゃ、行くか」
「いいのか!?」
「おう」
頬を紅潮させたルキアの頭をぽんぽんと撫でてから、背中に乗せる。この姿でわざわざ玄関から出ることもないかと思い、縁側へと移動する。
「じゃ、行ってくる」
「お気をつけて〜」
店主及び店員に見送られ、一護は足を踏み出した。見えない足場を踏み、オレンジ色の髪をした死神が空へと舞い上がる。
「すごい!たかい!」
「よかったな」
「ここはきっと、にいさまのいえのにわよりもひろいな!」
「…たぶんな」
ルキアの突然の我侭の原因を概ね察知した一護は、そういうことかと一人溜息を吐き出した。大方、連れ戻したいがために、自分と来れば広い庭で思う存分遊べるとか何とか魅力的な言葉を並べ立てたのだろう。一緒に行くことは断ったものの、それは丸一日室内で過ごしたルキアには甘い誘惑だったに違いない。
「ここはきれいだな」
「そうだな」
何の変哲もない住宅街の夜景に、ルキアがそんなことを言う。この街を守っている、この街を大切に思う自負から、一護はルキアの無邪気な賛辞を受け入れた。
「わたしはここがすきだ」
「知ってる」
そんなことは、ずっと前から知っている。不意に大人びた口調で断言した幼子に、確かに朽木ルキアの片鱗を見て、一護はひそかに口に笑みを佩いた。そして背中にいるのが朽木ルキアなら、次の目的地は簡単に決まった。
「いちご、ここはなんだ」
「公園だ。遊びたかったんだろ?」
背中から降ろした途端に遊具に駆け寄ったルキアを見て、一護は笑った。駆け寄ったはいいものの、何をするものなのかわからず遊具の前で立ち止まっているルキアを担ぎ、強引に滑り台の頂上へと連れて行く。
「なんだこれは」
「いいから、ほれ」
突然背中を押されて、呆然としたまま下まで滑り降りていったルキアの様子を伺う。しばらく固まっていたルキアは、顔を輝かせて一護に叫んだ。
「たのしい!」
「そうか」
「あれはなんだ!」
「こら!走ると転ぶぞ!」
ブランコに駆け寄っていくルキアが、案の定バランスを崩した。無駄に瞬歩を駆使して駆け寄った一護は、間一髪でその小さな頭を受け止める。危なかった、と一護がほっとしたのも束の間、ルキアは懲りずにまた走り出していた。
「ここはたのしい!すきだ!」
「そうだろうな」
何せ、いつもの姿でも特訓だ何だとやたら来ていた場所である。記憶ごと幼くなったとはいえ、一護の家、浦原商店、学校の他では最も訪れたこの場所にルキアはきっと馴染むだろうという一護の推測は正しかった。
「こら!転ぶぞ!」
「いちごがいるからへいきだ!あれであそぶ!」
理由にならない理由を振りかざし、ルキアは願い事を口に出した。ふわり、と身体が持ち上げられ、小さな椅子に乗せられた。椅子に付けられた鎖を、離すなと命令される。
ぐっと力を込めてルキアが鎖を握り締めると、一護の手のひらが背中に添えられた。背中に感じる一護の手に力が込められたと思うと、次の瞬間には、ルキアは空に向かって飛んでいた。
「すごい!」
「手ぇ離すなよ!」
空に飛んだのと同じ速さで一護の所に吸い込まれると、また背中に手の気配。ぐい、と前に押され、先程よりも高く空へと飛び出した。
「いちご!もっと!」
おそらく、兄の庭はこんなにもきらきら光ったりしないし、こんなわくわくする道具もないだろう。そして、一護もいない。ならば、ここにいたほうがずっといい。
夜の公園に、誰にも聞こえない歓声が響いた。