サニーデイズ
第十一話
「手、出してください。…はい、どうぞ」
「…あめ?」
ルキアの手の中に転がされたのは、薄桃色をした大ぶりの飴玉だった。口の中に入れて転がすと、甘さと共に覚えのある風味が広がる。
「いちごあじ!」
「当たり」
飴が入ってぷくりと膨れたルキアの頬を、浦原の指が弾いた。ルキアは、お絵描きを中断して楽しそうに飴玉を口の中で転がしている。
「おいしい」
「そりゃよかった」
嬉しそうに笑うルキアに、浦原は目を細めた。ルキアの頭を撫でると、浦原は部屋を立ち去った。
貰った飴玉を軽く噛みながら絵を描いていると、飴玉は簡単に無くなってしまった。ルキアが唇を舐めながら飴玉の余韻に浸っていると、部屋の中に、ひらりと黒い蝶が舞い、からかうようにルキアの鼻先に止まった。
それと同時に、異世界からの扉が口をあけた。その中から悠然と現れた尊敬する義兄の姿に、ルキアは顔を輝かせた。
「にいさま!」
「絵を描いていたのか」
「はい!でも、わかめたいしがじょうずにかけません」
「それでは私が手本を見せよう」
ルキアのクレヨンを取り上げ、すらすらと白哉はわかめ大使を描いた。その横に、わかめ大使の義妹も描く。さらさらと画用紙の上に現れる悪の親玉の元・眼鏡や、裏切り者の銀狐に、ルキアは尊敬の眼差しで兄を見た。
「にいさまは、ほんとうにえがじょうずですね」
「朽木家当主ともなれば、当然だ。……ときにルキア、私が来る前に何かあったか?」
「……?……あ、うらはらからあめだまをもらいました」
「それを食したのか」
「はい」
いけないことだったのか、と不安そうに自分を見るルキアを安心させるように、白哉はルキアの頭を撫でた。実際にルキアに触れると、傍にいて僅かに感じたルキアの霊圧の揺らぎが、さらによくわかる。
そして、その意味するところは。白哉はそっと目を伏せた。
「にいさま?」
「……いや、何でもない」
そのまま白哉は何事も無かったかのように、ルキアと絵を描く作業に戻った。さらさらと続編のわかめ大使・サクセスバージョンを白哉が描いたところで、ふとルキアは気になることを白哉に尋ねた。
「にいさま、わかめたいしのつづきはもうないのですか?」
「今作っているところだ。読みたいのか」
「はい!」
「……そうか、では、出来上がったら一番に読ませてやろう」
「ありがとうございます!」
一番、という特別な響きと大好きなわかめ大使の続編に、ルキアは無邪気に笑った。続編はいつ出来上がるのだろう。また一護に読んでもらおう。そんな幸せな未来を想像して、ルキアはにんまりと笑った。しかし、そんなルキアの様子を見て、白哉は何事かを考えるように目を閉じた。
「にいさま?」
「急用を思い出した。すまぬ」
「かえってしまわれるのですか?」
「ああ」
白哉は立ち上がった。振り向くと、義妹が寂しそうな表情でこちらを見ている。
白哉は立ち止まると、再度義妹の頭を撫でた。それは、彼女が本来の姿だった頃には、決してできない触れ合いだった。おそらく、自分の妻にも出来なかったことに違いなかった。そして、この小さな義妹に、伝えなければいけないことがあった。おそらく、これが彼女との触れ合いの最後となるのだろう。
「お前は、私の誇りだ」
「ほこり?」
「礼を言う。とても……楽しかった」
「はい!」
兄の言うことはよくわからなかったが、ルキアは元気よく返事をした。よくわからなくても、兄が楽しいならばそれでいい。思い切り手を振ったルキアを横目に、白哉は障子を開けて縁側に出て、障子をぱたりと閉めた。そこには、黒猫とこの家の店主が仲良く座っていた。
「いいんスか?」
「……時間はもう少ないのだろう。私の他にも、何か言いたいものがいるはずだ」
「白哉坊も大人になったものじゃの。……では、次は儂が行こう」
猫の前足で器用に障子を開けると、夜一はするりとルキアのいる部屋の中に入った。
「よるいちどの!」
意外な来客に、ルキアは驚いた。いつも夕方にしか来なかった夜一なのに、時計を見ると、まだ昼前だ。しかし、夜一が来た、ということは。
「いちごをむかえにいくのですか!?」
「いや、違う」
ルキアの反応に、夜一は苦笑した。
「良いではないか。儂だってたまにはルキアと話がしたい」
「はい」
「何の絵を描いておったのだ?」
「これはにいさまがかいてくれた、『くろいばけねこ』です。まねしてかいているんですが、うまくいきません」
「ほうほう、化け猫、と……」
黒猫の金色の瞳がぎらりと輝き、口の端が不気味にニヤリと吊り上った。
「よるいちどの……?」
「すまぬ、何でもない」
「きょうは、いつごろいちごをむかえにいくのですか?」
「儂はもう迎えには行かぬ。ルキア一人で行けるはずじゃ」
「へ?」
「天気予報で、夕方には雨が降るかも知れぬと言っておったな」
突き放す言葉に、ルキアの瞳が不安に揺れた。けれど夜一は穏やかな表情で、ルキアに擦り寄った。温かい体温と毛並みの艶やかな感触に、ルキアはぎこちなく夜一を撫でた。
「罪悪感に折り合いをつけるのは難しい。……その上、儂も喜助も性格が捻じ曲がっておる。まあ、儂は喜助ほどではないか。とにかく、皆それぞれにルキアに伝えねばならぬことがある。無いのは、一護くらいじゃな。あやつはちゃっかりもう伝えたらしい」
「一護が?」
「ああ。とても大切なことをじゃ。儂は今から伝える。良く聞いておけよ?二度は言わぬからな」
そこまで言うと、夜一はコホン、と猫には似つかわしくない咳払いをした。ルキアは真剣な眼差しで、夜一の言葉を待っている。
「ありがとう。とても楽しかった。これからも、皆が傍にいることを忘れるな。…特に、風呂で溺れそうになったら真っ先に儂を頼れよ?」
「はい」
最後の言葉で悪戯気に笑った黒猫に、ルキアも笑顔で応じた。その笑顔を見て、夜一もまた、するりとルキアの傍から離れた。
「ルキア、少し早いが昼飯の時間じゃ。今日は少し時間が無い。しっかり食べろ」
「はい!」
黒猫の言葉に、慌ててルキアも部屋から飛び出した。小走りで食卓に行くと、ルキアの好物ばかりの、少し豪勢な食事が並べられていた。
「すごい!」
「お気に召しましたかな」
「いただきます!」
きちんと手を合わせてから、夢中になって昼食を頬張るルキアに、浦原商店の店員達は温かい眼差しを送った。意地でも残すまいと、次から次へと口に放り込むのを、浦原が嗜める。
「こら、急がなくても誰も取らないって、黒崎サンも言ってたでしょう」
「そうか……」
食べる速度を幾分か落としながらも、普段よりも時間をかけずに昼食を終えたルキアは、自分の食器を持ってトコトコと台所へと向かった。
シンクの中の水を張ったタライの中に食器を入れると、後ろから声がかかった。声の主は、台所の主でもあるテッサイだ。
「今日の昼食はいかがでしたかな」
「すごくおいしかった!」
「それはよかった」
テッサイは屈みこむと、視線をルキアの高さに合わせた。そして、テッサイの大きな手がゆっくりとルキアの頭の上に降りてきた。テッサイに頭を撫でられるのは初めてだったので、ルキアはぽかんとした顔でテッサイを見た。
「……私も、無関係ではありません。店長や夜一殿と、私は共犯です。だからこそ、私からも伝えたい言葉があります。ありがとうございます。……そして、本当に楽しかった。色々と、普段は作らない料理を作ることができました」
「……どうしたのだ、きょうは、みんな」
兄、夜一、テッサイまで。
皆にお礼を言われるようなことをした覚えもないし、これではまるで、と思った瞬間、ルキアの身体がぐらりと揺れた。テッサイがその身体を支え、店長、と鋭い声を上げた。
(おわかれ、みたいだ)
次にルキアが目を開けたのは、昼を大分過ぎた頃だった。布団に寝かされ、横にはうさぎのいちごが一緒に寝かされている。それをぎゅっと抱きしめると、またゆっくりと睡魔が襲ってきた。抵抗すべく、ぱしぱしと瞬きを繰り返したが、ゆっくりと瞼が重くなっていくことを、ルキアは止められなかった。
ルキアが睡魔と闘っていると、襖が音も無く開かれた。部屋の中に現れたのは浦原で、その後ろにテッサイが控えていた。
「テッサイ、結界は?」
「万全です」
それだけを告げるとテッサイはどこかに消え、部屋の中にはルキアと浦原だけになった。
「眠いっスか」
浦原の言葉に、こくりと頷く。浦原は杖の先をルキアの額に向けた。こつん、と軽い感触と共に、ルキアは自分の身体が二つになったことに驚いた。
固く目を閉じ、さっきまで着ていた服を着たルキアを浦原は布団から出すと、布団から転がり出てしまった白い服を着たルキアを、もう一度布団の中にきちんと寝かせた。
「う……ら、は……ら……」
「目を閉じて。眠ってください」
その言葉は逆らえない不思議な響きを持っていて、いやだ、と思っているのに瞼は閉じ、ルキアはゆっくりと眠りの世界へ引き込まれていった。
「ありがとうございます。アタシも、楽しかったっスよ。すごく」
ルキアの小さな手を取ると、浦原は呟いた。夢現のルキアに聞かせるつもりはなかったが、握った小さな手に力が込められ、浦原は驚いた。
うっすらと、ルキアの瞼が僅かに開かれた。焦点の合わないぼんやりした眼差しで、それでもルキアは告げた。
「……わ、たしも」
ルキアの言葉に、浦原は目を細めた。帽子の縁を目深に下げて、ええ、と小さく頷いた。