「危ない!」

 ルキアは必死に身体を伸ばし、目の前で腰を抜かしている子供の幽霊を突き飛ばした。襲い掛かる虚の、不気味に発光した爪先が頬を掠め、思わず舌打ちする。そのまま回転して身体の向きを変え、刀を構えなおして反撃の態勢を整えたルキアは、そこでぴたりと動きを止めた。ふぅ、と気が抜けたような息をひとつ吐くと、前方の虚を完全に無視して、背後に庇った幽霊の無事を確かめる。
「怖い思いをさせたな。すまぬ」と詫びながら白い刀の柄を幽霊の額に押し当てれば、幽霊の子供は光に包まれ、消えていった。そしてルキアの背後では、先程の虚が断末魔の悲鳴を上げていた。虚が消えた先には、オレンジ色の髪をした死神が一人。

「何ヘマしてんだよ」
「かすり傷だ。問題ない。貴様も無事か?」
「おう。こっちも雑魚だった」

 二手に分かれて虚を退治していた二人は、とりあえず互いの無事を確認した。一護は無傷、ルキアも頬に傷を負った以外に外傷は無い。ルキアはそっと自分の傷に触れると、ゆっくりと指を滑らせた。指先が薄く発光し、ルキアが手を離すと、傷はもう跡形もなくなっていた。

「んじゃ帰るか」
「ああ」

 そのまま、一護と共に歩き出そうとしたルキアは、妙な違和感に襲われた。思わず、治ったはずの頬の傷に手を伸ばす。不意に頭をよぎるのは、不気味に発光した虚の爪先。今はもう無い傷をなぞりかけたところで、ルキアの身体がぐらり、と前に倒れた。異変を察知した一護が、慌てて駆け寄る。

「ルキア?おい、どうした!?」
「…う…」
「おい!?…くそっ」

 倒れる瞬間僅かに目が合ったが、その後ルキアはぐったりと目を閉じ、微かに呻くだけでほとんど意識も無い。
 一護はルキアの細い身体を肩に担ぐと、全速力で駆け出した。視線が一瞬でも絡めば、声にならない声で、相棒が何を自分に指示したのか、十分に伝わった。浦原商店へ連れて行け、彼女はそう確かに自分に頼んだ。

「何だってんだよ!」

 意識の無いルキアの身体がひどく軽く感じられて、一護は舌打ちした。







「どうなってんだよ!?」
「落ち着いて下さい、黒崎サン。とりあえず命に別状は無いっス」
「じゃあ何でコイツは寝たままなんだ!?」
「…それなんスよねぇ…」

 深夜に担ぎ込まれた朽木ルキアの検査を一通り済ませて、浦原は首を傾げた。一応血液は取ったが、解析にはまだ時間がかかる。しかし、目立つ外傷は全く無く、脈も呼吸も正常。ただ静かに眠っているだけに見える。目を開く様子は、まだ無い。

「虚の能力だってことは間違いないと思うんスけど、解析結果がでないことには…」

 それまでただ待ってろっていうのか、と浦原に八つ当たりしかけたところで、一護は言葉を失った。ルキアの霊圧が、ぶわりと揺れたのだ。寝かされていた布団が僅かに浮き上がる。そしてその後起きたことは、一護の予想を超えていた。

「な、な…」
「うわーこれはこれは…」

 さすがの浦原も言葉を失った。先程までルキアが着ていたはずの死覇装は影も形も消え失せ、白い着物を着た…おそらく朽木ルキアであろう物体が、そこにいた。
 朽木ルキアが眠っている、という事実自体には何ら変化はなかった。その朽木ルキアが、五歳児くらいの外見に縮んでしまったという一点を除いては。
 呆然と、息を呑んで一護と浦原が見守る中、目の前の小さな物体は、ふるりと瞼を震わせると、ゆっくりと目を開いた。

「だれだ、きさまら」
「怪しいモンじゃ無いっスよ〜。お嬢さん、お名前は?」
「ルキア」

 ぱっちりとした大きな瞳と目が合った瞬間、これは紛れも無く相棒だと確信した己を一護は呪った。現実を拒みかけた脳を、その視線が強制的に引き戻す。そして一護の葛藤をよそに、浦原は大した動揺も見せず、その現実を受け入れた。

「きさまら、なんという」
「アタシは浦原喜助っス。よろしく〜ルキアさん」
「きさまは」

 見た目は五歳児なのに、あくまでも偉そうなルキアに促され、一護はゆっくりと口を開いた。

「…黒崎、一護」
「いちご。いちごか」

 うむうむと何やら納得しているルキアを尻目に、何やらニヤニヤしている浦原を掴んで部屋の外に引きずり出した。

「何だよアレ!?」
「いやぁ、記憶ごと幼児化しちゃったみたいっスねぇ」
「見りゃわかる!戻るのか!?」
「まあ、解毒剤さえ作れれば。…時間はちょっとかかるでしょうけど」
「それまでずっとあのままなのか…?」

 そうでしょうねぇ、と請合う浦原の声は、心なしか少し楽しそうだ。この男は面倒事が大好きな筋金入りの変態だということを思い出し、一護は深いため息を吐いた。

「で、どうします?」
「…どうもこうも。うちに連れて帰るわけにもいかねぇだろ。遊子も夏梨もこんな非常識な話信じな…いや、信じるか」
 
 幼い頃から霊媒体質の兄を受け入れてきた妹達は、この手の話に関して異常な程の適応力と包容力を誇る。小さくなったルキアにはじめは驚きこそすれ、可愛いと騒いで一人は嬉々として…もう一人は面倒そうな顔をしつつ、実際は満更でもなさそうに、ルキアの世話を焼く姿が想像できる。そして父親の反応に関しては、想像の中ですら鬱陶しそうだったので一護は意識的に脳から遮断した。

「とはいえ、黒崎サンも妹サンも、学校ありますしねぇ…それじゃあ、しばらくウチで預かりますか」
「悪ぃ、頼む」

 ひとまずルキアをどうするか決めてから部屋に戻ると、小さくなったままのルキアがきょとんとした顔でこちらを見ていた。その瞳を見た瞬間、一護は己の小さな失敗を悟り、一人小さく舌打ちをした。目の前の朽木ルキアは、現在身体どころか、おそらく精神まで外見相応に戻っている。つかつかと部屋を横切った一護は無遠慮にルキアの隣に座り込むと、その頭に手を置き、いささか乱暴にわしわしと撫でた。突然の行動に、ルキアが慌てて頭を押さえた。

「なにをする!」
「…別に、大した話じゃねぇよ。急に一人にして悪かったな」
「なんだと」

 一護の言葉を聞いた瞬間、大きな瞳がふるりと揺れた。知らない場所、知らない人間。一人になった不安は、小さな身体に恐怖を募らせた。

「大丈夫だから、泣くな」
「ないてなど、おらぬ!」
「そうかよ」

 途端にぽろぽろと涙を零し始めたルキアから視線を逸らして、一護は頭を撫で続けた。涙と鼻水を握り締めた布団で一生懸命拭って、ルキアは嗚咽を堪えていた。
 その、普段よりも随分低い位置にある頭を撫でながら、もう一度一護は呟いた。子供になっても相変わらず高飛車で、相変わらず我慢だけはしっかりと覚えている小さな相棒に、当たり前の一言を。

「大丈夫だ」



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   第一話