自分の仕事机の上に『隊首室に来い』と乱暴に書かれた書置きを発見したのは、任務から戻ってすぐのことだった。
呼び出される心当たりが無く、ルキアははてと首を傾げた。差出人は書かれていないが、筆跡には見覚えがある。間違いなく夜一のものだ。と言うより、夜一が何故か自分を捜しまわっていたと、既に数名の隊士から聞いていた。理由を聞かれても、悪戯に笑うだけで、何も答えなかったらしい。
「……うむ。こうきたか」
こっそり隊首室の霊圧を探り、夜一の意図がわかってしまったルキアは、誰にも聞かれぬように小声で呟いた。似ている、と夜一が騒いでいたのは、つい今朝の話だ。
どうしたものか、と表情が曇る。
「こうきたんだよ。ま、覚悟を決めろ」
「貴様も呼ばれたのか?」
いつの間にか背後に立っていた一護に、しっかり独り言は聞かれてしまったようだ。多少体裁が悪い思いをしながらも、ルキアはもう少し詳しい事情を聞いてみることにした。
「来たいなら俺も来ていいってよ。お待ちかねだ。多分、会わせてみたいだけなんじゃねえか?」
「席官でもない隊士に会わせるために、未来の朽木家当主を拉致監禁か……」
ルキアのため息は、地を這った。自分が知っているものよりも小さいが、隊首室に間違いなく義兄の霊圧がある。そして、ルキアにはわかる。これは間違い無く確実に、怒っている。それなのに居場所は少しも変わらないということは、縛られているか動きを封じられているかのどちらかなのだろう。尊敬する義兄が自分の為にそんな扱いを受けるのは、申し訳ないような、やりきれないような、複雑な気持ちになる。息が詰まる潜入生活が、天真爛漫な隊長の性格にいくらか救われているとはいえ、これはいささかやり過ぎだ。
「行きましょう、浅野君」
「いいのか?」
「ええ。待たせるのは申し訳ありませんから」
口調を『小島花子』のものに改めると、『家族同然の幼馴染』を伴って、隊首室へと向かった。出会って、一体何を話せば良いのか、歩いている間に結局考えはまとまらなかった。当たり障りの無い挨拶の言葉だけを頭に思い浮かべながら、ルキアは恐る恐る扉を開けた。
「いい加減にしろ化け猫!」
「お、来たな!待っておったぞ!ほれ白哉坊、並べ並べ!」
扉を開けると同時に飛び込んできた罵声に、一護とルキアは面食らった。大声に驚いたというより、大声を出していたことに驚いた。一護が吹き出しかけたのを堪えて激しく咳き込むのをじろりと睨んでから、ルキアは緊張した面持ちで部屋に入った。その表情は、唐突に呼び出された隊士として相応しいものを取り繕ったつもりだったが、内心、同じくらい緊張していた。
怒鳴られた当の本人であるはずの夜一は、まるで聞こえてはいないのか、ルキアの到着を無邪気に喜んだ。手招くと、霊圧で動きを封じられている白哉の横に立たせた。見知らぬ他人の前でみっともない振る舞いをしたくないのか、白哉は不機嫌ながらも大人しくなっていた。
「おい、この縛道を解け」
「ああ、すまぬすまぬ。お主が暴れるものじゃから、つい」
「何がついだ!」
夜一が指を鳴らせば、白哉の両腕が自由になった。手を握って感触を確かめた後、視線はまっすぐにルキアを捉えた。若い兄の姿に、思わず妙な形に曲がりそうになった口元を、ルキアは慌てて押さえつけた。自分から名乗るべきだ、と考え、緊張している隊士を装いながら挨拶をした。何とか浮かべた愛想笑いらしきものに、不釣合な親しみが込められていたのは、状況を鑑みて大目に見てほしいところだ。
「小島花子と申します。はじめまして」
「……朽木白哉だ」
知っています、と答えそうになって、ルキアは慌てて口を噤んだ。やはり、義兄が目の前にいると、平静ではいられない。それを面白そうに見守っている背後の男が憎い。
「うむ、やっぱり似ておる。本当に影武者が務まるかもしれんの」
「何を言っている。この人は、女性ではないか!」
「そうですよ。それに、霊圧が違いすぎますわ」
「眼鏡を取ってみろ。そうすればもっと似るぞ!」
「駄目です。これを外したら、何も見えませんわ」
眼鏡を押さえて、ルキアが首を振った。その姿に、白哉が眉を潜めた。
「目が悪いのか?」
「ええ、少し。お気になさらないでください」
「え、な、何をする!」
「あら、申し訳ありませんわ。つい」
「な、何がついだ! そ、その手をどけろ! 何故私の頭を撫でる!」
「だって、私が眼鏡を取れないのは、貴方のせいではありませんわ」
「あはははは! そうしていると、まるで姉と弟のようじゃ!」
「貴様は黙っていろ! それと、そこの男! 笑いすぎだ!」
「あー、スミマセン」
不意に優しく頭を撫でられた白哉は、面食らって固まった。事態を理解した頃には、顔が真っ赤になっていた。
顔が熱いのが、怒りのせいなのか苛立ちのせいなのか、それとも別の原因なのかは白哉にはわからない。自分は仮にも大貴族であるのに、この女は近所の子供だとでも思っているのか、人の頭を撫でながらニコニコと笑っている。花のような甘い香りが鼻につき、それが目の前の女のものだと気付いた瞬間、白哉の顔は一層赤くなった。
一方のルキアは、ころころ表情が変わる義兄の姿を存分に楽しんでいた。取り繕っていたはずの微笑は、今ではもう本物とすりかわっている。
死神にすらなっていないながらも、しなやかさに満ちた若い義兄の姿は、後の成長を予感させる。というか、可愛い。すぐ大きな声を出すところも、感情が顔に出るところも、自分の知っている義兄からは想像ができないことばかりだ。でも、やはり根の部分は変わっていないかもしれない。一介の隊士に過ぎぬ自分の目を気にしてくれる優しさは、知っている義兄の姿に通じている。実のところ伊達眼鏡なので、その優しさが少し心苦しくもある。
一護もまた、うつむいて笑いをこらえていた。しかしこらえきれず、肩が震えていた。それが無礼だと白哉は怒っているが、本当は大声をあげて笑い転げたいくらいなのだから、少しくらいは努力をかってくれてもいいのに、と身勝手なことを考える。思いがけず果たされた兄と妹の邂逅は、何とも奇妙な具合だ。白哉は、相変わらず真っ赤になって焦り、一方のルキアは嬉しそうに笑っている。今まで、家族と屋敷の使用人以外で接する女性が夜一だけだったとしたら、この白哉の反応も無理はないかもしれない。しかしそんな分析は脇に置いて、おかしさだけが先行している。面白い。
「白哉坊は儂の弟子じゃ。仲良くしてやってくれ」
「誰が弟子だ!」
怒り心頭の白哉をよそに、夜一はからからと笑った。大貴族をつかまえて、『仲良くしてやれ』とは相変わらず型破りな隊長だ。一護とルキアにとって、それはとても好ましい。この生活には、目を逸らさなければあまりにも多すぎた。最たるものは、先程から部屋の隅で、薄笑いを浮かべながら、ずっとこちらを観察している第三席の男の視線だ。
浦原が何を観察しているのか、詮索することはない。この男の思考回路など、考えたところでわかるはずがない。せめて、自分たちに火の粉がかからないように祈るばかりだ。火の粉が今までかからなかったことは無いのだが。
多少の嘘と緊張を孕んだ邂逅は、白哉の『用が済んだならもう行くぞ!』という怒鳴り声によって終了した。微笑んで見送るルキアに、みっともないところを見られたという後ろめたさがあるのか、目礼して白哉は立ち去っていった。その頬が薄く染まっていたのは、おそらく見間違いではない。