「どうする」
「どうするったって、ネエさん、どうしましょう」
「うむ、散歩でもすればいいのではないか?」
「だな」

 立ち去ろうとしている場所で、やるべきことは最早無く、一護とルキアとコンは、最後にこの世界をぐるりと巡ってみることにした。

 まずはじめに向かったのは、かつて自分たちが住んでいた二番隊の隊舎だった。随分懐かしい。一護とルキアの使っていた部屋は立ち入り禁止になっていて、隊員の目を盗んで瞬歩でこっそりと中に入った。
 たとえば現世で、卒業した後の学校にこっそり忍びこむ感覚とどこか似ていた。小さなスリルが心地良くて、一護とルキアは、目を見合わせてふふと笑った。

「なんか、落ち着くな」
「長く生活しすぎたかもしれぬな」

 そういえば、二番隊で世話になった死神たちの記憶はどうなるのだろうか。一護とルキアはふとそんなことを考えて、すぐにやめた。
 この件は、ある二番隊の隊士の私怨ということでカタがつくはずだった。首謀者の女は、自らが招き入れた虚の触手によって絞め殺された。仲間の男は未だ逃亡中だが、いずれ捜査は打ち切られるだろう。女が牢獄の中で、『流魂街で拾って利用しただけの男』だと、はっきりと証言している。
 そして、ふしぎと犯人たちの顔を誰も思い出せぬまま、この事件は風化していくに違いなかった。
 その裏で、時間を駆け抜けた死神が暗躍していたことなど、誰も知る由もない。
 一護とルキアとコンは、荷物が何も無くなった部屋を、改めて見渡した。やはり、懐かしかった。一度ごろりと横になり、天井を見上げた。義骸が虚に喰われ、死んだことになっているルキアはともかくとして、一護は今も追われているというのに、流れる空気はとても呑気なものだった。

「次、どこ行く」
「どうしよう、外だな……。歩きまわったところを、適当に」
「ん、わかった」

 一護とルキアは、黒い外套を身体に巻き直すと、来た時と同じように瞬歩で外へと繰り出した。空は青く、今の気分のように晴れ渡っていて、二番隊隊舎の屋根の上で、一護とルキアは思い切り深呼吸をした。
 上から見れば、ずいぶん遠くまで周囲が伺える。そこかしこに思い出が散らばっているのを自覚して、一護とルキアはほうと息をついた。何気ない会話が胸に蘇る。仮初とはいえ、長く生活をしすぎた。胸にあふれるのは、ようやく終わった安堵と元の世界に帰れる喜びだけではなく、慣れ親しんだ場所に別れを告げる寂しさでもあった。胸の中に、何かがつかえている感触がある。しかし、そこに宿る感情を、一護もルキアもはかりかねていた。

「できるだけ、歩くか。もう見れないからな」

 一護の提案に、ルキアは頷いた。一護とルキアは、起こった出来事をひとつひとつ思い返しながら、瞬歩でかつて生活した場所を巡った。二人とも外套で気配を消し、一護の方はまだ追われる身でありながら、気分は高校時代にヒマに任せて空座町を散歩していた時と、何も変わらなかった。
 二人で何度も通った白玉あんみつの美味しい甘味屋に、素性を隠した生活のストレスに耐えかねて夜中にこっそり組手をした修練場。疲れた時、ひそかに昼寝をしに来た隊舎の一番奥にある雑木林には、今も心地よさそうな木漏れ日が差し込んでいた。鬱蒼とした外見で人を跳ね除けておきながら、あんがい日当たりが良い木々の隙間は、一護とルキアのお気に入りだった。茂った木々の間から差し込む帯のような光を両手で受けて、ルキアは満足げに笑った。
 木漏れ日に手を当てて暖めていると、不意にはるか彼方で死神が動き出した気配がして、一護とルキアは顔を見合わせた。二番隊の死神たちは、慌ただしく瀞霊廷を突っ切り、流魂街の方へと向かっていて、彼らの隊長とついでに胡散臭い第三席を救出に向かおうとしているのは明らかだった。それの意味するところは、つまり、総隊長が目覚めたということだった。

「起きるの早えな」
「うむ、さすがだ。いかに浦原作とはいえ、霊圧が強大すぎると、効きが悪いのか?」
「かもな」

 一護とルキアは苦笑したまま、その場所を動こうとはしなかった。まさに今死神たちが急行している場所にいたはずの男が、何故か一護とルキアの視線の先、雑木林の最奥からこちらに向かってきていた。

「ドーモ、お待たせしちゃったみたいっスねえ」
「待っておらぬわ、たわけ。大体貴様、どこから現れておる」
「んー、あっち」
「見りゃわかる。何してたんだよ」
「そりゃ、アナタ方と帰る準備っスよ。総隊長はもう共犯じゃ無いっスからね、隠れないと」

 浦原はいつも通りの笑みを見せると、肩をすくめた。そして視線だけで一護とルキアを促すと、先程来た道を引き返し始める。一護とルキア、そしてルキアの肩に乗せられたコンは、しばらくその背中を胡散臭いものを眺める瞳で見ていたが、やがて諦めたように後を追った。
 奥に進むにつれて木々の密度は増し、じめついた気配が一護とルキア、コンを包んだ。布の身体だと湿気が気になるのか、コンは居心地悪そうに身動きしている。

「わ、なんか、はじめて尸魂界に行った時みたいな穿界門だな」
「開く気配を完全に消して、アタシらが帰った後に、完全に消滅する仕掛けもつけて、あと色々遊んでたらこんなコトに。あ、お二人サンの荷物ももう持ってきてありますヨン」
「我々の荷物では無いものがほとんどを占めているように見えるが」

 森の奥で見たものは、予想外に立派な穿界門だった。太い門柱に、一護はかつてルキアを救うためにはじめてくぐった穿界門を思い出した。あの穿界門には霊子変換機が重ねてあったはずだが、この門にどんな仕掛けが施してあるのかは、問い詰めてもきっとはぐらかされるだけなので聞かないでおく。
 それよりも、親切めかして示された荷物のほうが余程気になった。一護とルキアの荷物は必要最小限にまとめられて、布袋がひとつあるきりだが、袋はどう見積もっても十以上あり、それら全てが布地の限界を試すように膨れ上がっている。

「えー、二百年後じゃ手に入らないモノって結構多いんスよ。薬品だって、コッチの方が質がいいこともあったり……」
「返してこい!」

 口を尖らせて言い放った浦原を、一護はこめかみあたりをひきつらせて一喝した。膨れ上がった荷物と、やけに輝いている浦原の表情が、一護とルキアの心のなかで疑惑の芽をすくすくと育てた。自分たちと別行動している間の浦原の行動が、何となく読めた気がする。こちらに来た時、珍しくこの男の本心に触れたような気もしていたが、まさか、まさかこの男は、自分たちを手伝うためではなく、これが目当てでこの時代にやってきたのではないだろうか。

「え、何スかその目」
「……ほんっと、アンタって強欲商人だよな」
「しかも、貴様ならば、わざわざいっぺんに運ばなくても、またここに来れるだろう」
「あー、ソレ。あの鬼道なんスけど、封印しようと思って。だから、これが最初で最後っス」

 一護とルキアは、驚いたように浦原を見た。当の本人はというと、その反応が不本意だったのか、苦笑すると帽子の影に隠れた片目を閉じて首を傾けてみせる。

「だって、過去に行く方法があるなんて考えるの、精神衛生上よろしくないでショ。それに、誰も彼もがアナタ方みたいに良識があるワケじゃないだろうし」
「……それは、そうだな。それにしたって多すぎだろう。どうやって運ぶつもりだ」
「三人いるんスから、なんとかなるでしょ」
「俺たちが運ぶのかよ! ふざけんな!」
「ちょっとくらい協力してくれたっていいじゃないスか!」

 ぎゃあぎゃあとやりあって、約十分後、浦原の荷物は、一護とルキアがそれぞれひと袋ずつ手伝って、持ち切れないモノは返却という結論にまとまった。うちひしがれた浦原が荷物をほどいて、持って行けないものを処分して戻ってくるまでにさらに一時間を要した。

「黒崎サンも朽木サンもヒドイ……」
「たわけ。一袋だけで随分な譲歩だ」
「しかも、袋パンパンじゃねえか。持ちにくい」
「つーか、待たせすぎだ! ココ湿気るんだよ! 綿が!」

 一護とルキアとコンがそれぞれに不平を言ったが、浦原はまるで応えていない顔で笑い、目の前の門を顎で示した。あいにく、浦原の両手は荷物で塞がれている。それどころか、自分の体積の倍はあろうかという荷物を巨大な風呂敷に包んで、レトロな泥棒よろしく背中に括りつけていた。

「ハーイ、文句は後で。帰りますよ。はぐれないでくださいね」
「アホか、一番ヤバイのアンタだろ」
「少しでも遅れたら、置いていってやる」

 浦原の言葉と同時に、目の前に鬼道の光が灯り、松明のようなそれはあっという間に穿界門に飲み込まれた。遅れずに全員が続く。もう誰も、振り返りはしなかった。
 一護もルキアもそしてコンも、しっかりと前を見据えて、自分たちが守るべき未来へと繋がる道を駆け抜けた。



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