あとは任せた。そう一護が叫ぶのを、二人ははっきりと聞いた。二度目の虚との遭遇は、どこか懐かしさすら滲ませて、一護とルキアの感覚を揺らした。目立たぬ岩のうらで、二人でそっと目を合わせて苦笑する。改めて過去をやり直す羽目になってから、随分長い時間が経っていた。
 かつての自分たちが空間の裂け目に消えて尚、虚の大群はこの場所へと押し寄せている。だが、『任せられた』男が勝手に何とかすると信じていたので、一護とルキアとコンはひとまず静観することに決めた。

「困ったなァ、任せられちゃった」

 白い狐の面を被った男が、人前ではじめて声を出した。あまりに聞き覚えのある声に、その場にいた面々は、誰の眼にも触れぬ場所で隠れている二人を含めて、目を見開いて眉毛をはね上げた。男の声は楽しげで、岩の裏で気配を消している二人の存在には、はじめから気付いていたにちがいなかった。

「さぁて、と」

 今まで鬼道と体術のみで戦っていた男は、持っている杖から刀を取り出した。すらりと抜かれた刀が視界に入って、夜一が弾かれたように幼馴染を見た。幼馴染は硬い表情を崩さぬまま、男の姿を凝視していた。
 ぶわりと霊圧が巻き上がり、黒いマントの裾が翻る。風圧と化した霊力に、夜一と海燕、白哉は腕で顔をかばった。眼を細めれば、男の白い仮面が霊圧に煽られて弾け飛んだ。狐の面はくるくると旋回しながら舞って、軽い音を立てて二番隊第三席の足元に落ちた。

「啼け、紅姫」

 現れた真紅の霊圧が、虚を両断する。男は一歩も動かぬまま、幾度も紅い霊圧を放った。その度に虚が鮮やかに割れた。消されてゆく虚に怯まず、数匹の虚が男めがけて突撃する。うわあ、とおどけた声を上げて、男は血のように紅い盾でそれを防いだ。突撃の勢いは殺しきれず、下駄が嫌な音を立てて地面を擦る。土煙をあげる足元をちらりと見てから、男は無表情で呟いた。

「切り裂き紅姫」

 男の言葉とともに、盾から無数の霊圧が刃となってほとばしる。あっという間に虚の大群は身体を切り刻まれて消えた。ぐるりと盾を旋回すれば、あとに残っているものは、三分前と比較して高さが半分になった岩山と土煙、そして沈黙ばかりだった。

「はい、オシマイ」

 悠然と、男は笑った。
 呆然と立ち尽くすギャラリーをちらりと見遣って、男の視線は誰もいないはずの岩陰へと定まった。自然、他の死神たちの視線もそこへと集まる。気まずい沈黙を察したのか、そろそろと岩陰から現れたふたつの影に、真っ先に声をあげたのは白哉だった。

「あななたちは、どこかへ消えたのではなかったのですか!?」
「あー、消えたぞ。アイツらは、な」
「それについては、少しばかり事情がありまして。お気になさらず」
「そうそう。大した問題じゃねえ。問題はアンタだよ。何で仮面取ってんだ」

 消えた途端に再度現れた二人は、若干気まずそうに場を取り繕った。なにせ、空間の狭間に消えたのが数ヶ月前のことであるから、正直なところ、どんなテンションで顔を出せばいいのかわからなかった。新鮮な気分で現れるには、いささか時間が経ちすぎた。華々しく舞台から退場したと思いきや、間をあけず中央へと戻されてしまったきまりの悪さに、一護とルキアはこっそり視線で会話すると、とりあえず注目を自分たちから逸らすことにした。
 一護の人差し指の先では、同じように時代を越えてやってきた浦原が、堂々と素顔を晒して思考の読めない笑みを貼り付けている。注目を集めていることすら、気にしていないようだった。

「ここまできたら、もう全部バラしても構わないでしょう。だって、キミ達の正体がバレた時点で、どうせ記憶いじらないと収集つかないっスよ」
「だからってな……」
「すぐはぐらかす癖に、どうして妙なところで潔いのだ、貴様は」

 悪びれない浦原に、一護とルキアは同時に息を吐いた。浦原に言われずとも、はじめから記憶は消すつもりだった。けれど、いくら消す記憶とはいえ、強烈な記憶は不意に頭に浮かぶこともある。だからなるべく波風を立てぬように行動していたというのに、男はおそらく自分たちが正体を明かした時に勝るとも劣らない衝撃を与えて、しれっと佇んでいる。
 あーあ、と小さな声を出して、一護は周囲を眺めた。先程まで好き勝手にびゅうびゅうと吹きすさんでいた風すら、空気を読んだようにぴたりと収まっている。水を打ったような沈黙が立ち込める中、肝心なことをようやく確認したのは、夜一だった。

「ま、待て。本当に、喜助か……?」
「やだなぁ、こんなにハンサムな幼馴染の顔、忘れちゃったんスか?」
「喜助なら、そこにもおるではないか」

 夜一が顎で指し示した先には、二番隊第三席の男が感情の見えぬ硬い表情をしたまま立ち尽くしていた。指先で足元におちた白い狐の面を拾い上げると、もうひとりの自分へと放り投げる。仮面は弧を描いて相手の手の中に収まり、一瞬だけ、視線が絡んだ。それに表情をひきつらせたのは一護とルキアだった。一人だけでもタチが悪いのに、浦原喜助がふたりで向かい合っている光景は、悪夢以外の何物でもなかった。

「要するに、別の時間のボクってことっスね」
「別の、時間……?」

 小さな声で浦原の言葉を反芻したのは、白哉だった。聡明な御曹司は、括った黒髪をさらりと揺らして首を傾げると、しげしげと二人の浦原喜助を見比べた。

「あちらの人のほうが、年をとっているように見えます。未来から、来たのですか?」
「そういうコトでしょうねぇ。そして、多分、この人達も」
「!」

 死覇装を来た浦原が、ひたりと二人の死神を見据える。それに続くようにしてそこにいた全員の視線は一護とルキアに集まった。話の矛先が結局戻ってきてしまって、一護とルキアは恨みがましい眼で見慣れた方の浦原を睨んだ。

「おい、これでどうやって収集つけんだよ! ますますややこしいことになったじゃねえか!」
「えー? 黒崎サンたちが適当に説明して、記憶消して、めでたしめでたしじゃないっスか?」
「結局説明は私達か!」

 ああもう、と言いながらルキアは天を仰いだ。先程から義兄の視線が横顔に突き刺さっている気がしていて、どうしたものかと眉をひそめる。できるのならこれ以上余計なことを言って混乱させたくはなかったが、何かを言いあぐねている様子がなんともいじらしくて、何でも答えてあげたいと思う気持ちも同じくらいあるのだから、もうどうしようもなかった。

「……何か、気になることがおありですか」
「いえ、あの、えーと……。貴方も、あの人と同じように未来から来たということは、その」

 視線を伏せて口ごもる白哉を見て、ルキアは困ったように眉尻を下げた。元々義兄には弱いと思っていたが、自分よりも身長の低い少年時代ともなれば尚更で、これ以上困った顔など、少しも見たくなかった。結局、ルキアは白哉に優しく微笑みかけた。

「構いませんよ。こうなれば、何でも答えましょう」
「……貴方は、ほんとうは、私の娘か何かですか?」
「ぶっ」

 ルキアを見上げる切実な視線に、吹き出したのは一護だった。かつてもこんなことがあった、と思い返して、白哉は口を尖らせた。

「貴方はいつもそうだ!」
「あー、悪ィ。まさかそんな風にかっ飛んでいくとは思わなかった」
「残念ながら、違います。血の繋がりは無いと言ったでしょう」

 なんとか苦笑らしきものをひねり出して、ルキアは白哉の頭を撫でた。白哉は、どこかホッとしたようだった。

「この男の言う通り、我々はこの時代の存在ではありません。もっとずっと、遠い未来から、断崖を駆けて来ました。お騒がせして、申し訳ございません」
「あ! そうか、吊柿!」
「正解です」

 夜一が目を見開いて、自分の技の名前を口走った。それの意味を察して、ルキアはにっこりと笑ってみせた。かつて幽閉されていたころ、ルキアはこの技をどこで覚えたのか尋ねられた。ルキアは正直に答えたものだ。『あなたに習った』と。

「私は嘘はついていません。修行中の貴方ときたら、鬼か虚のようでした」
「なるほど、そういうからくりか」
「ええ。全ては、そういうからくりでした」

 少し寂しそうにルキアは笑った。視線は、ひとりの死神へと注がれている。視線の先の志波海燕は、ずっと無言を保っていた。何を言い出したものか、考えあぐねているようだった。別れの時が近づいている。その実感が、ルキアの胸を覆った。

「さっき消えた俺達は、別の時間に行った。終わった後に戻ってきたんだけど、コイツのせいで大分前の時間に飛ばされちまった。だから、俺達が二番隊に入る前から、ずーっと隠れてた。今までな」
「ああ、じゃあ、ボクの研究室に忍び込んだ窃盗犯は、アナタ達ってことだったんスね」
「ま、そういうことだな。荷物は邪魔だからアイツに押し付けといた」

 一護とルキアはそれぞれに肯定した。全てを話してしまえば、どこか気の抜けた空気が吹き抜けた。この時代の死神たちにとっても、一護とルキアにとっても、すっきりしたという感覚に近かった。虚脱感は、事態の終わりを物語っていた。

「じゃあ、そろそろ、潮時っスねえ」
「行って、しまうのですか」
「ええ。任務が終われば、帰らなければいけません」

 酷く寂しそうな顔で、白哉はルキアを見上げた。ルキアは眉尻を下げたが、きっぱりと首を横に振った。
 眉間に皺を寄せて、白哉が息を吐く。胸に湧き上がる寂しさを、必死に呑み下そうとしているようだった。いじらしい仕草に、ルキアは唇を噛んだ。

「また、会えるんだろ?」

 鼓膜を打つなつかしい声に、ルキアははっと顔を上げた。目を上げれば、かつての思い出よりも少しだけ若い顔が、かつてと変わらぬやさしい笑みをたたえてルキアを見つめていた。
 ルキアは目を伏せて、はっきりと頷いた。

「ええ。必ず、会えます」
「そっか」

 それを聞いた海燕は満足気に頷いた。心が晴れたと言わんばかりの笑みは、潔いものだった。つられてルキアも笑った。この人は笑顔を伝染させる鬼道でも使えるのかもしれない、と昔真剣に考えたことを、不意に思い出した。

「記憶消されるんじゃ、俺が副隊長になるのもしばらくお預けだな。隊長、残念」
「なんじゃ。ようやく決心したのか?」
「ああ。理想の副隊長ってのがなんとなく見えたんで」

 海燕はルキアを見てウインクして見せた。飛び出した言葉があまりに予想外で、ルキアはうろたえた。

「え、貴方は何を言って」
「やかましい。俺はお前を見て、副隊長になりてえなって思ったんだよ。悪いか。お前は俺の目標だ」

 温かい海燕の言葉に、ルキアは二の句が継げなくなった。何かを言い出そうとして、何度もやめる。
 言い尽くせぬ言葉は、すべて喉の奥に引っかかった。ルキアは妙な唸り声をあげかけて、結局黙りこくった。にやにやしながら自分の横顔を見つめている己の隊長が憎い。顔も赤くなってしまったかもしれない。

「そういや、お前にも目標の副隊長っているのか? こう、今後のために一応聞いてみるけど」
「……います。今でもその人は、私の目標です」
「どんな人だった?」
「とてもいい人でした。公正で、聡明で、なによりもよく笑って」

 泣きそうな笑みを貼り付けて、ルキアは笑った。かつて憧れた笑顔は、ルキアの眼の前にあった。

「貴方が忘れてしまっても、その言葉は忘れません」
「忘れても、無かったことにはならねぇよ。この時代は、アンタたちが守ったんだから。忘れても、俺の目標はお前なんだよ。わかったか」

 な、と首を傾げて白い歯を見せられては、ルキアも頷く他なかった。一護に、ぽんぽんと慰めるように頭を叩かれる。格好悪いところを見られたな、と思いつつも、そのぬくもりに安心した。照れたようにちらりと上目遣いで見上げると、子どものような仕草に海燕が吹き出した。

「なぁんか、曰くありげっスねえ」
「そうじゃの。まあ、真相は未来へのお楽しみか」
「そっスね」

 ルキアと海燕のやりとりを無言で見つめていた夜一と浦原は、互いに目を見合わせた。大いに気になるところではあるが、きっと教えてくれないだろうということはわかっていた。口ぶりから察するに、彼らの本当の時代においても自分は健在のようなので、まあいいか、と夜一は納得した。

「さぁて、最後の謎も解けたところで、お別れっス」
「そうだな」

 縋るような白哉の視線に、一護とルキアは目を伏せて頷いた。夜一の目も海燕の目も、少しばかり寂しげに細められたのを、一護とルキアは見逃さなかった。小さな仕草が、心にそっと火を灯す。そのみなもとになっているのは、先程の海燕の言葉にちがいなかった。
 忘れてもなかったことにはならない、とかつて自分たちも言い合った。遠い未来に思いを馳せて、ルキアは両目を閉じた。

「忘れません。忘れても、繋がっています。必ず」

 力強くルキアが言葉を並べ連ねると、そこに居た全員が、頷いて笑った。 



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