「一護、ルキアは起きたのか? ……む、邪魔したの。ホレ白哉坊、帰るぞ。あの二人はお楽しみ中じゃ」
「な、どういう意味だ!」
「知りたいのか? ならば教えてやろう」
「い、いらぬ! 近寄るな化猫!」
「……それくらいにしておいてください。別に、邪魔ではありませぬ」

 障子を隔てていても大いにうろたえているのがわかる白哉に、ルキアは助け舟を出して、一護にもたれかかっていた身体を起こした。一護もまた、ずっと部屋の外を向いていた身体の向きを変え、来訪者達に向かい合うかたちで座りなおした。

「どうした」
「そろそろ起きたのではないかと白哉坊が騒ぐものでな。それにしても、お主らは本当に恋人同士だったのか。いや、すまぬ。もう少し気を利かせれば良かったの」
「違いますよ」
「そうなのか。まあ、いいじゃろ。灯りをつけていいか? 気が滅入る」

 ぱちんと夜一が指を鳴らせば、部屋の中に光が灯った。行灯に火が灯されただけではなく、天井全体が、ホタルカズラの光によって薄く輝く。相手の顔を伺うのに十分な明るさになり、白哉はほうと息を吐いた。恐れているわけではないが、朽木の姓を名乗る目の前の女性の表情が見えないのは、なんとなく不安だった。夜一がぽいぽいとふたつの座布団を投げ、そのうちのひとつに白哉は座った。もうひとつには夜一がどかりと腰を下ろした。

「あの……」
「はい、なんでしょう」

 自分を見るときだけ、目尻を細めてふわりと笑う癖がある。それに気付いた時、白哉の胸は得体の知れぬ感情でいっぱいになった。もっとしっかりと話したいのに、言葉がうまく口から出てこなくなってしまう。白哉はルキアの少し横の畳を見ながら、もぞもぞと言葉を探した。ほんとうは、もっと別のことを聞きたかった。けれども会話の糸口を探しあぐねて、出てきたのは結局、この局面ではどうでもいいとさえ思えることだった。

「本当に、朽木の血は入っていないのですか、あなたに」
「本当です。とても親切な当主様に、情けをかけて頂きました」
「朽木家の、当主?」
「はい。私が知っている中で、最も強く、優しい当主様です」
「爺様が……」
「そうとは、限りません」
「え?」
「いいえ、何でも」

 言葉の含みが気になるものの、白哉は、情けをかけたという当主が自分の祖父であると確信した。まさかこの人が、先代の頃から生きているとも思えなかった。何故か零番隊隊長が笑いを噛み殺しているが、よく考えれば出会った時からそうだったので、この男は笑い上戸なのかもしれない。

「こ、これからは朽木の家にも顔を出して下さい」
「それはできません」
「何故です」
「不審にもほどがあるでしょう。隠し子だと思われたらどうします。姉と弟で、白哉様を差し置いて、次期当主が私になってしまうかもしれませんよ」

 最後のはルキアの冗談だったが、白哉はその可能性を真剣に検討しているらしい。しばらく秀麗な眉間に皺を寄せて考えこんでいたが、やがて決意したように顔をあげた。

「ならば、もう少し待っていてください! もう少し背が伸びて、皆が認める次期当主になります! 貴方は身体が小さいから、そうすれば、誤解されても妹ということにできます! そうだ、私の妹ということにすれば、貴方は家にいられます!」
「ぶっ」
「何がおかしい! いや、おかしいのですか! 貴方はいつも笑いすぎだ!」
「あー、気にすんな」

 一護はこらえきれずに吹き出した。ルキアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。無言を貫くルキアに、自分は何か失礼なことを言ったかと白哉は眉をひそめた。僅かに微妙な沈黙が落ちた次の瞬間、ルキアは両手を広げて白哉に抱きついていた。

「わっ、な、なにを」
「ありがとうございます、兄様」
「え? あ、その、はい」
「待っています。だから、必ず、迎えに来て下さい」
「は、はい。必ず、迎えに行きます。……あの、だから、離してください……」
「嫌です」
「諦めろ。もうちょっとだけそうさせとけ」
「そんな!」

 思いがけぬ体勢に、白哉は困り果てた声を出した。誰かに何かを懇願するという事態も生まれて初めてなら、それをきっぱりと断られるのも初めてだった。他の者は助けるつもりは無いようで、夜一は腹を抱えて笑っているし、彼女の上司にあたる男はニヤニヤ笑いながら非情な宣告をした。
 どうすることもできず、しばらくの間なすがままになっていると、ようやく体温が離れた。生きた心地がしなかったというのに、離れた瞬間に惜しいと思ってしまったのは何故なのかと、頭の中の冷静な部分で考えていた。

「すみません」
「き、気にしていません」

 軽率な行動だと感じたのか、少し照れたようにルキアが笑った。白哉はなんとか仏頂面を装って、ぎこちなく頷いた。
 肩を揺らして笑いながら顛末を見守っていた夜一は、ふと顔をあげた。ルキアは片眉を跳ね上げ、一護は僅かに眉間の皺を深くする。

「……まともに出て来いよ」
「ありゃ、やっぱバレました?」
「当然だ、たわけ。隠す気もないだろう」

 一護とルキアの視線の先には、少し前と同様に浦原が立っていた。けれど、先ほどの浦原よりは、随分と若い。
 浦原の視線は、その場にいた死神の顔を通りぬけ、ルキアの横に置かれた手荷物へと吸い寄せられた。あまりに予想通りの反応だったので、ルキアはこれみよがしにため息を吐くと、ルキアは手元に荷物を引き寄せた。
 ルキアの反応に口を尖らせると、浦原はその場に座った。視線は相変わらず、ルキアの手元に固定されている。

「少しくらい、いいじゃないスか。見せてくれたって」
「ダメだ。たわけ」
「あの義骸といい、外套といい、零番隊に特別支給される道具があるんスか?」
「違う。タチの悪い厄介なヤツが勝手に押し付けてきたんだよ」
「なんじゃ、喜助のような奴じゃの」

 夜一が感心したように頷いたが、妙に複雑な気分になった一護とルキアは、頷くことも出来なかった。

「あの外套、イイっスよね。あんなのがあったら、悪事し放題っスよ。調べる前に取り返されちゃいましたけど。作ろうかなあ」
「研究は構わんが、できたら儂にもよこせよ」
「ちょっとは止めてやってくれ、夜一さん……」

 浦原の行動を止めるつもりもない夜一の物言いに、一護がげんなりとして息を吐いた。ルキアも呆れたように視線を逸らすと、興味津々で自分の手元に突き刺さる視線がもう一つあることに気づいて、吹き出しかけるのをこらえた。この人は今までの会話の間じゅう、ずっとそんな顔でこちらを見ていたのだろうか。

「……気になります?」
「えっ!? いや、べつに!」

 白哉はルキアの声で我に返り、ぶんぶんと首を横にふった。その仕草に、また笑いがこみ上げる。幼い兄はかわいい。
 
「すみません。本当は見せて差し上げたいのですけど、厄介な相手がいるものですから」
「誰のことっスか?」

 浦原がぴくりと眉を跳ね上げた。けれどルキアはその言葉を無視して、ふと顔をあげた。どうやら、最後の客がようやく到着したようだ。
 軽やかに瞬歩で廊下を駆ける懐かしい霊圧に、ルキアは目を細めた。

「悪い、遅れた! あ、起きたんだな。もう大丈夫か? じゃねえか。えーと、大丈夫ですか? だな。もう今更な気もするけど」
「ええ、いつもの口調で構いません。あなたに敬語を使われたら、照れてしまいます」
「なんだよ、それ」
「随分遅かったの。何かあったか?」
「あ、そうそう! ウチの隊長がまた熱出したんだよしかも吐血付き! 俺しか隊回せねぇから、今まで必死こいて残業! タイミング悪っ!」

 最早隊長の病を心配する気も失せているのか、妙に朗らかな顔で海燕は語った。いつも吐血している割に、笑顔を絶やさない十三番隊隊長の姿を思い浮かべ、誰もその点は指摘しなかった。一々心配していては、身が持たないというのが本音だ。そして一護とルキアは、少なくとも十三番隊隊長があと二百年は元気だということを、よく知っていた。

「大変だな、そっちの隊も」
「そうそう。最後の一時間くらい、もう俺隊長でいいんじゃねぇかと思ってた。零番隊はどうだ? 見たところ、吐血は無さそうだな」
「ある隊長の方が少数派だろ。別に、俺は平均的な隊長だと思うけどな……って、痛え!」

 脇腹を押さえて一護が悶絶した。一護が自分のことを『平均的』と称した瞬間、ルキアの肘が一護の脇腹を綺麗に強打していた。コンはコンで一護の頭を蹴り飛ばしていたが、ぬいぐるみの身体での蹴りは、脇腹のダメージにかき消されてしまったようだった。

「なにすんだよ!」
「今、平均、とか言ったか……? 貴様が平均なら、すべての死神は平均の範疇に入るわ! 私がどれだけ苦労をしたと思っておる!? ホイホイ敵を追いかけて、虚圏どころか地獄まで行ったのはどこのどいつだ!」
「別についてきてくれなんて頼んでねぇだろ!」
「ついて行くに決まっているだろう! たわけが! 少しは考えろ! 無茶ばっかりしおって!」
「無茶ばっかしてんのはお前だろ! 初対面で俺かばって瀕死だったじゃねぇか! しかもその後処刑されそうになってたじゃねえか!」
「あれもそもそも貴様が無茶をするからだ!」
「あ、あの、お二人とも、落ち着いて……」
「聞き捨てならぬ単語が、幾つか出たのは気のせいかの」
「いやぁ、気のせいじゃないんじゃないっスか?」

 会話の端々からこぼれ落ちた単語に、夜一と浦原は首をひねった。白哉は、ルキアの豹変におろおろしながら二人の喧嘩を見守っている。そして海燕は、こみ上げる笑いを隠そうともせずに、肩を揺らしながらくつくつと笑っていた。
 周囲の妙な空気に気付いたのか、口喧嘩をやめて、一護とルキアは顔をあげた。特にルキアは、みっともないところを見られたと思ったのか、少し頬が紅潮している。

「すみません。みっともないところをお見せしました。あまりにもふざけたことをいうものですから」
「俺のせいかよ」
「その通りだ」
「何だと」
「やかましい。飯抜きにされたいか」
「ぐっ……」

 冷ややかなルキアの声に、一護は言葉に詰まった。こういうときに、あられもなく胃袋を握られていると怖い。一護は口を尖らせると、じゃあもう草むしりやんねえぞ、と小さく呟いた。聞き捨てならぬ発言に、ルキアが眉をひそめて、なんだと、と問いただそうとした。

「えーと、お前らやっぱり付き合ってるのか?」
「違うらしいぞ」
「一緒に暮らしているのですか?」

 海燕の言葉を否定したのは、少し前に同じ疑問を持っていた夜一だった。とはいえ、軽く首をかしげているあたり、本人もあまり自分の言葉に納得していないように見える。そんな微妙な空気を察することができず、白哉は素直な疑問を口にした。その言葉に、一護とルキアは頷いた。

「ええ。隊舎を兼ねた家に住んでいます」
「隊舎なのに、ご自分で食事を作るのですか?」
「隊員が少なすぎて、食堂作ってもらえねぇんだよ。他の家事も自力だ」
「案外苦労をしておるの」
「慣れてしまえば、気楽でもありますけど。忙しい時は、どうにも面倒で」

 ルキアはふわりと笑った。本人は気づいていないようだが、その生活は満更でもなさそうだ。
 海燕はルキアの顔をまじまじと見た。彼女の挙動一つ一つから、副隊長であることの喜びが伝わってくるようだった。手のかかる隊長だと苦笑を零しながらも、彼女は決してその傍を離れないのだろう。

「楽しそうだな、副隊長」
「やってみる気になりましたか」
「いーや、まだだな。面倒が多すぎだろ、あの隊長」
「あの人は、かなりしつこいですよ。何年経っても勧誘され続けるんですから、さっさと諦めたらどうです」
「ん? 知り合いなのか? まあ、しつこいのは否定しねえけど。俺がいないとほんとどうしようもないけど。まだ逃げられるだろ」
「それも、あと数年のうちでしょう」
「何だよ、予言か?」
「ただの予想です。答えは、あなたの心が決めるしかありません。本当は、少しだけ傾いているのでしょう?」

 秘密を打ち明ける子供のような顔で笑うルキアの視線から目を逸らして、海燕はぽりぽりと頭を掻いた。自分でも自覚すらしていなかった心の中を見透かされるのは、くすぐったい。
 バツの悪い表情がおかしかったのか、ルキアは口元に手をあてて笑い出した。彼女の隊長は口元に笑みを湛えて、自分の副隊長を見守っている。海燕は心のうちで白旗をあげた。ルキアの指摘通り、自分は副隊長というものに少し惹かれている。あの手のかかる病弱な隊長が率いる隊を、きっと自分は守りたいと思っている。

「心が答えを出すまで、隊長をやきもきさせるのも、楽しそうではありますね」
「アンタ、案外ひどいな」
「だって、副隊長になってしまったら、振り回されるのは自分の方です。割りに合いません」
「……ルキアお前、俺にちょっと喧嘩売ってねえか?」
「気のせいだろう」

 漫才のようなやりとりが入って、海燕は肩を揺らして笑った。夜一もあまりの物言いにけたけた笑っていて、浦原が横から『夜一サンも大概っスよ』と茶々を入れている。二番隊を除く隊長は素晴らしいものだと固く信じている白哉だけが、おろおろと事の顛末を見守っていた。

「そうじゃ、忘れておった。久々にほっとけーきが食べたい!」
「へ? ああ、構いませんよ。明日の朝作りましょう。台所をお借りしてもいいですか? どうせなら、皆様の朝食を用意しますよ」
「ほっとけーき、とは……?」
「ふわふわで甘い、夢のような菓子じゃ!」
「甘い、菓子……」

 少しだけ白哉はこめかみをひきつらせた。実は、甘いものがあまり得意ではない。どうしようかと考えあぐねていると、目尻を細めて笑うルキアと目が合った。

「大丈夫です。甘さ控えめなものをご用意します。あと、朝食に甘いものは入れません」
 
 白哉にホットケーキを出さずとも、どうせ興奮した夜一から、口に押し込まれるに決まっている。そこまで含めて心配をしていたに違いない白哉に、ルキアは諭すように微笑みかけた。途端に白哉の顔が安堵で染まる。わかりやすい義兄の表情が可愛くて、ルキアは一層目尻を下げた。

「そうと決まれば、今日は退散するぞ! ルキア、しっかり休んで明日への力を蓄えろ!」
「はい、わかりました」
「そういやもう夜中だな」

 時計に目をやった海燕が、驚いたように言った。興奮でまだ眠くはなかったが、後日の戦闘に向けて、あまりの無理は禁物だ。
 夜一に追い立てられるようにして、その場にいた面々は一護とルキアの部屋を後にした。最後に残った夜一が、はて、と首を傾げて、気になっていたことを尋ねた。

「ときに、貴様等は二人ともこの部屋でいいのか? 部屋なら余っているから、別の部屋を用意しても構わんぞ」
「いいよ、あんまり面倒かけるのも申し訳ないしな」
「ふむ。じゃあ、布団を運ばせよう。少し待っていてくれ」
「ひとつあれば十分です。お気遣いなく」
「…………そうか」

 一護の言葉もルキアの言葉も、自分を気遣っているのはなんとなくわかる。なんとなく。だが、気遣った結果出された結論が、どうにも腑に落ちず、返答に僅かな時間がかかってしまったのは、致し方のない事だろう。
 夫婦でも恋人同士でもない、のか? ちらりと疑問が胸をかすめたが、深く考えることでもなさそうなので、夜一の思考はすぐに明日の朝のホットケーキに侵食されてしまった。


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