コンは洞窟の中を全力で走り抜けると、地上への扉を思い切り蹴り飛ばした。ルキアの顔を歪めるのは気が引けたが、取り繕う余裕を失った顔には涙が滲んでいる。先程のやりとりで、本体の義魂丸にヒビが入ったような気すらしていた。
「ああもう超コエー! 何なんだよアイツら! アホみてーな殺気ぶつけやがって! 一護の外見だったら全力で粗相してたぞコラァ!」
叫んだ瞬間、背後に妙な雰囲気を感じて、コンは飛び退いた。先程までいた場所に、暗器が突き刺さっている。避けなければ頭を貫いていたであろう位置に、コンは言葉を失った。バカにされたのが悔しかったのか、あからさまな殺意を感じる。これだからプライドの高い変態は、と毒づく余裕もなく、転がるようにして外へと脱出した。
「……おいおいおいマジかよ! どーすんだよコレ!」
地下の淀んだ空気からようやく解放されたと思う暇もなく、虚の気配がコンの神経を灼いた。予想外の状況に混乱しながらも、コンは歯を食いしばった。二人の死神の気配は、背後に迫っている。
一護もルキアもここにはいない。ならば、自分が何とかするしかない。この任務は、自分の任務でもあるのだから。
コンは懐から丸薬を取り出した。それは、遠い昔、いや、遙かな未来に空座町で使われる、虚の撒き餌だった。コンはそれを、自分の口の中に放り込むと、噛み砕いて飲み込んだ。これで、まずは自分が狙われるはずだ。
しかし、コンの予想は外れた。
ねじれた空間から現れた虚は、その触手を浦原へと伸ばした。誰に潰されたのか、目が無い虚の繰りだす大雑把な攻撃が浦原へと迫る。コンは躊躇なくそこに飛び込んだ。
「……なっ」
「チクショウ、ネエさんの外見、傷つけさせんじゃねーよ! 変態はそこで丸まっとけ!」
虚の攻撃で、白い腕が飛ぶ。今まで自分と繋がっていたはずの左腕が放物線を描くのを、コンは目で追うことができなかった。浦原と虚の間に割り込むと、浦原に体当たりをするようにして、コンは虚と浦原の距離をあけた。両足に全力を込めた結果、体当たりと表現するにはいささか威力が大きすぎる代物になってしまったが、それには構っていられない。
この義骸に痛みはないが、片腕がないのでバランスが取れない。コンはそのまま地面を転がると、それでも急いで飛び起きた。次の攻撃を避けなければならない。けれどここでも、予想外の事が起きた。虚と距離を取った後、虚はもうコンと浦原に攻撃をしてはこなかった。虚の触手は、今や別の人物を狙っていた。その場にいたもう一人の死神を取り込もうとする動きに、コンは舌打ちした。
「そっちが本命かよ!」
海燕は、臨戦態勢で虚を迎撃しようとしている。ヤバい、と咄嗟にコンは思った。あの虚には、まともな攻撃は通用しない。虚の奇妙な動きに、何故か嫌な予感がした。
海燕が、斬魄刀で虚を勢い良く斬り払う。しかし海燕の攻撃は、虚に少しのダメージも与えられなかった。虚の触手が海燕に狙いを定めるのを、コンははっきりと見た。慌てて地面を蹴ったが、遅すぎる。間に合わない。
その瞬間、虚と海燕の間に、黒い影が翻った。
「ネエさん!」
その影は持っていた刀で虚の触手を凌ぐと、着ていた外套を脱いだ。そのまま、海燕に外套を巻きつける。
「逃げてください!」
「な、え、お前」
ルキアの激しい口調に、状況がわからないながらも海燕は外套をかき合わせた。その瞬間、虚の標的が三度変わったことにコンは気付いた。虚は、潰れた目で、間違いなくこちらを見ている。
「俺様、大ピンチ」
冷や汗を垂らしながら、コンは笑った。目のない虚が、コンに向かって突進をはじめている。コンは、ルキアに背を向けて走りだした。最悪なことに、目の前には、断崖絶壁が広がっていた。義骸の中に入っている義魂丸が砕けてしまわぬことを祈りながら、コンは飛んだ。
「コン!」
崖から落ちてゆくコンに瞬歩で駆け寄ると、ルキアは限界まで手を伸ばした。その手のひらには、悟魂手甲がはめられている。
だがしかし、あと少しのところでルキアの手は空を掻いた。くそ、と舌打ちすると、ルキアもまた崖から飛んだ。ルキアが再び手を伸ばす。コンもまた、片腕だけの手を賢明に伸ばした。それでも、まだ届かない。背後からは、虚の触手が迫っている。
「コン……。コン!」
ルキアが叫んだ瞬間、ルキアの背後から杖が現れた。見覚えのある杖は、ルキアを通り抜けると、コンの頭を打ち抜いた。杖に押し出されて、義骸から義魂丸が転がり出る。ルキアは驚きながらも、空中でしっかりと義魂丸をキャッチした。
落ちながらも、無理矢理空中で体勢を反転させる。振り返れば、崖の上には、黒い外套を着て、何故か白い狐の面をかぶった男がこちらを見ていた。
何をしている、と毒づく前に、虚の触手が伸ばされた。ルキアを素通りして、落ちてゆく義骸を絡めとる。鈍い音を立てて、義骸が砕けた。触手の間からしたたる血は偽物だとわかっていても、ルキアは眉をひそめた。
どおん、という大きな音が上空から聞こえたのは、次の瞬間のことだ。
視線を向けて、目を見開く。虚の触手が岩肌にぶつかり、大小さまざまの岩が、ルキアに向かって叩きつけられようとしていた。
「……身から出た錆だ! 何とかしろ!」
ルキアは叫ぶと、手に握りしめていた義魂丸を飲み込んだ。一瞬の後、その顔は驚愕に歪んだ。
「ギャー!! ネエさんヒデー! ちょ、死ぬ死ぬ!」
近くにあった岩を蹴り、強引に身体の向きを変えた。空中で落下する岩から岩へと飛び移り、何とか大きな岩に潰されるのを防ぐ。今更、ほんとうに今更気付いたが、この崖から落ちたらルキアといえども無事ではないかもしれない。岩と一緒なら、尚更だ。
一瞬でそんな思考を巡らせていると、細かい岩の欠片が大量に目の前にあった。細かいといっても、ひとつひとつはルキアの頭ほどもある。どれを蹴っても、どこに飛び移ってもぶつかる。視界の中に、道がひとつもないことを一瞬でコンは悟った。その瞬間、コンは足ではなく手に力を入れた。
「ネエさん! 無理! 交代!」
コンは叫ぶと、赤いグローブのはめられた手で、自分の頭を強く押した。一瞬の後、その目は驚きで見開かれた。
「な、たわけが! 殺す気か!」
驚きながらも、本能的に空中に投げ出された義魂丸を掴みとった。握りしめてその感触を確かめると、ルキアは前方に手をかざした。
「破道の三十三! 蒼火堕!!」
巻き上がる火炎が、爆風と共に岩を押しやった。頭上の岩を一掃し、天を仰いだところで、ルキアの視界の端に巨大な岩が写り込んだ。大岩は、猛烈な勢いでルキアに迫った。咄嗟に、ルキアの手が斬魄刀にかかった。けれど、ルキアはすぐに全身の力を抜いた。ルキアの口元には、かすかな笑みが浮かび上がった。
「……月牙、天衝!」
巨大な岩が、ルキアの目の前で砕け散る。衝撃波は岩を切り裂き、虚にまでも到達した。耳障りな悲鳴をあげて、虚が消滅するのを、ルキアは見てはいなかった。岩の破片からルキアを庇うように、力強い腕がルキアを引き寄せる。その瞬間、ルキアは身体を反転させて、腕の主に抱きついた。腕は、ルキアの身体をしっかりと支えた。
腕の中に馴染んだ温もりを感じて、ルキアは両目を閉じた。ここにくるまでに、色々なことがあった。ありすぎて、ひとつひとつを思い出せない。
この体温から、大切なことは伝えられただろうか。
腕の中の存在が、ひそかに苦笑した気配がある。きっと、伝わったのだろう。