「……これ以上続けても意味などないとわかったなら、そろそろ出て行って頂けません? 私、貴方がたと遊んでいる暇はございませんの」
自分勝手な物言いに、今度は浦原が歪んだ笑みを作った。
「さっきまで、あんなにご機嫌だったじゃないスか」
「女心は、うつろいやすいものですわ」
女はそれだけ言うと、目を閉じて口も閉ざした。夜一が忌々しそうに舌打ちしたが、もう女からの反応は引き出せなかった。
「行きましょう。時間をかけて、問い詰めればいい。そのうち、嫌でも吐かせます」
殺気をぶつけても、女は微動だにしない。抑え切れない苛立ちを噛み締めて、夜一は浦原と共に地下牢を後にした。
夜一は、そこまでで回想を打ち切った。
眉間に皺を寄せる夜一を、白哉が不安そうに見上げている。気にするな、という言葉の代わりに、夜一は白哉の頭を撫でた。いつもは真っ赤になって抵抗する白哉も、今日に限っては大人しかった。夜一の手には気付かぬ風に、白哉は何かを考え込んでいた。
「あの女は、私を殺そうとしたのか」
「忘れろ、白哉坊。鬼道で、もう手の痕も消えておる」
「何故、殺さなかった」
「……?」
「おかしい。何故、首など締めた。刀で刺したほうが余程簡単ではないか。虚で襲ったほうが早いではないか。何故、失敗した。それに、あの女は、私の記憶では」
あの夜を、白哉はよく覚えている。虚が現れ、突き飛ばされた。あの女の行動は、自分を殺そうとするものではなかった。むしろ、逆だ。
「あの女は私を助けた」
夜一は言葉に詰まった。何も分からない。あの女の言葉も、白哉の言葉も、虚も、何もかもが食い違っている。
「……白哉坊。詳しく話せ。何が起きたか」
本当は、首を絞められた時のことなど思い出させたくはなかった。けれど、白哉の情報は、真実の欠片だ。白哉も、夜一の目を見据えて頷いた。白哉もまた、真実を探り当てようとしていた。
「虚が現れて、あの女も現れた。伝令神機で誰かに連絡を取った後、あの女は外套を脱いだ」
「待て。伝令神機?」
「ああ」
夜一を見上げて、白哉がおずおずと頷く。夜一は、眉を跳ね上げた。倒れていた女が持っていたのは、銀色の腕輪と、黒縁の眼鏡だけだ。他には何も、持っていなかった。
(……それだけ、ですの?)
女の、毒気を抜かれたような顔を思い出した。あの対面の中で、女が貼りつけたような笑みを消したのはそこだけだ。
「伝令神機は、見つかっていない」
「それは、あの男が持ち去ったのではないのか」
「無理じゃな。その頃奴は荷物を片付けて、逃げ出していた。どんな手練でも、そんな時間があったとは思えぬ」
「では、あの女が、倒れる前に処分した?」
「……儂の勘に過ぎぬが、それもない。あの女は、知らなかった」
夜一の脳裏に、面会での出来事が次々と浮かび上がった。女は自分と浦原を怒らせようとしていた。無駄な話を続けようとしていた。時間を……稼いでいた?
厄介な連中を片方が引きつけている間に、もう片方が盗みだそうとしていた?
仮説が次々と浮かんでは消えた。どんな仮説を立てても、結論は同じだった。ぐるぐると、頭の中で記憶が踊る。女の貼りつけたような笑顔、不愉快な言動、拍子抜けした邪気のない顔。
そろりと顔を上げれば、青ざめた白哉がこちらを見ていた。
「……二人だけでは、ない?」
微かな白哉の声は、何故だか大きく響いた。しばらく放心したように見つめ合っていたが、やがて夜一は唇を噛み締めて、頷いた。それしか考えられなかった。
「他にも仲間がいるはずじゃ。どこか、別の場所に」
「少し待て。少し、整理したい。はじめから教えてくれ。私は奴らのことをほとんど知らぬ。知っているのは、女の方が、私に似ているということくらいだ」
すぐに部屋を出ていこうとした夜一を、白哉は制した。この状況に動揺しているのだろう。夜一も同じように混乱している自分に気がついて、少し深呼吸をした。
「あの二人は、二番隊に潜入した。統学院を卒業してすぐの配属じゃ。他隊に行ったことはない。そして、二番隊に入って、死神を殺す機会を伺っていた。……儂やお主を襲ったことからして、貴族を主に狙っていたのかもしれぬ」
あの二人に関して夜一が知っている事柄は、あまり多くはなかった。ほとんど何も無いと言っても良いくらいだ、と夜一は苦々しく考えた。役に立つ情報を、白哉に与えられるとは思えない。
しかし夜一の言葉に、白哉は口を手に当てて考え込み始めた。
「……貴様なら、何番隊を選ぶ。貴様が、あ奴らだったら。潜入して、死神を殺そうと思っていたなら」
顔を上げて、白哉が尋ねた。質問の意図が読めないながらも、夜一は考えを巡らせた。
「二番隊じゃな。隠密機動ならば、影で何をしていても怪しまれぬ。元が怪しいからな」
自虐的な夜一の口調に、白哉は目を細めた。だが、すぐに自分の考えに戻る。
まるで仕組まれたかのように、あの二人は二番隊へと入隊した。
おそらく、狙い通りに。
「それならば、おかしい」
「何故じゃ。配属がか? 書類も全て調べた。誰かが偽造した形跡もない。おかしいところなど、どこにもなかった。誰の推薦もない、ごく普通の入隊じゃ」
あの二人の正体が露見してから、夜一はすぐに二人の経歴を調べた。しかし、まるで成果は得られなかった。書類はどれもこれも、怪しむ隙のない正式なものだった。浦原まで駆りだして、徹底的に調べたが、駄目だった。間違いなく偽造ではない、自分と総隊長の判が押された書類を握りしめて、夜一は溜息をついたものだ。
「それが、おかしいのだ。推薦もないのに、狙いすましたように、目的の隊に入れるのか? 貴族でもないただの死神が? それも、二人揃って。どういう確率だ」
「それは……」
夜一は言葉に詰まった。無意識のうちに却下した仮説が、不気味に頭をもたげ始めていた。
奇妙なものを見る目で、夜一は白哉を見た。まだ死神ではない聡明な貴公子は、死神ならば絶対に辿りつけぬ結論に辿り着こうとしている。
「一応、確認しておく。貴様は、あの二人の仲間ではないな?」
「当然じゃ」
白哉の目が、強い決意を湛えて夜一を捉えた。その目を逸らさず、まっすぐに見つめ返して頷く。白哉が、唇を噛み締めた。そして、そのまま部屋の扉へと向かう。
「どこへ行く。まだ、休んでいたほうがいい」
「貴様が仲間ではないのなら、行く場所はひとつだ。……なんだ、怯えているのか」
夜一が呼び止めると、白哉は振り向いた。その顔は青ざめていたが、白哉は生意気に笑ってみせた。その笑顔に、ようやく本来の感覚を取り戻して、夜一はニイと笑った。
「誰に言っておる。白哉坊」
自分は、うまく笑顔を作れただろうか。
白哉の背を無言で追いながら、夜一は両目を細めた。
あの二人の仲間が、瀞霊廷の中にいる。
囚われた女と逃げ出した男の後ろで、誰かが笑っている。