いつも通りの夜の散歩を、白哉は楽しんでいた。周囲に民家のない、まっすぐなこの道はお気に入りだ。最近部屋の中で考えこむことが多かったので、ひんやりと湿気を纏った外の空気は快い。ひたひたと足音を立てながら、誰も居ない道を歩いた。
突然、空から軋んだ音がした。
「……っ、な……!?」
空間の裂け目から、見たこともない異質な虚が姿を現す。硬直していると、虚の触手が自分に襲いかかってきた。その鋭い爪先が自分を捉える前に、別の何かに突き飛ばされた。
自分を突き飛ばした何かと一緒に、草むらを転がる。わけがわからない。柔らかな草の群生で、痛みを感じないのが、いっそう現実感を薄めていた。ようやく止まったところで、自分の上にのしかかっている何かを確認し、白哉は大いに混乱した。
自分の上に乗っているのは、黒い外套を纏った死神だった。
「無事ですか!?」
「あ、ああ……」
白哉の無事を確認すると、死神は一瞬表情を緩めた。けれどすぐに厳しい顔を取り戻し、虚を睨む。
白哉は、動けないままその姿を見ていた。これは、あの女だ。
白哉の頭の中に、かつての光景が浮かび上がった。不思議な夜道での邂逅は、今でも強烈に白哉の頭に焼き付いている。黒い外套に、夜の闇をうけて、真っ黒に見えた髪。不思議なことに、今は髪が短くなっているが、それでも間違うはずはなかった。
夜風に、記憶とは違う黒髪が舞っている。
「ちっ」
虚の触手を弾きながら、ルキアは舌打ちした。身体が軋んできている。自分の意識も、そう長くは持たない。
虚の爪先は、執拗に白哉ばかりを狙っていた。何故だ、と考えて、霊圧だと思い至る。自分が目を潰したから、虚は霊圧に頼るしかないのだろう。
ルキアは懐に手を入れて、伝令神機を取り出した。同じものを持っているのはもう一人だけだ。同じ時代にいるのならば、繋がる。
ルキアは左手で通話ボタンを押し、乱暴な動きで耳に押し当てた。数秒だけの機械音が、妙に長く感じる。そして、通じた。
「無茶をするぞ! 逃げろ!」
相手の返答も待たずにそれだけを怒鳴ると、ルキアは通話を打ち切った。そこからきっかり十秒の間、虚の攻撃を凌ぐと、ルキアは外套を脱ぎ捨てた。
ルキアは少し笑った。身体が軽い。自分を戒めていた殻を脱ぎ捨てたかのような開放感に、気分は高揚する。そしてこの瞬間、異質な死神の存在は、護廷中に露見した。
「着て!」
ルキアは脱いだ外套を、白哉に押し付けると、しっかりと纏わせた。
虚の攻撃対象が、自分へとうつる。ルキアは鬼道を放ちながら、虚の懐へと飛び込んだ。
「な、な……」
外套の前をしっかりと掻き合わせ、白哉はその場所から動けずにいた。女は、以前会った時とまるで違う霊圧を纏って、虚と戦っている。
突然、虚が消えた。待て、と女が叫んでいるので、倒したわけではないのだろう。ただ、まるで液体になるかのように、消えてしまった。女は刀を鞘に収めると、白哉の方に向き直った。
何かを言おうと思うのに、舌が痺れて、うまく言葉が出てこない。
女はそんな白哉の頭を優しく撫でると、口を開いた。その意味が、一瞬白哉にはわからなかった。
「ごめんなさい」
その言葉を聞き返すよりも先に、息苦しさが白哉を襲った。女の白い両手が、首に巻き付いている。まともな抵抗もできず、意識はあっという間に途切れた。