残された時間は、瞬く間に過ぎた。出発の前日、一護とルキアとコンは、それぞれの荷物を抱え、浦原商店へと来ていた。
 相変わらず、ペイントされた空の他には岩ばかりの勉強部屋で、まず口を開いたのは夜一だった。

「さて、注意事項は覚えているな?」
「正体はバラすな、絶対に見つかるな、だったか?」
「その通りじゃ。……気を付けろよ。すぐに駆けつけるには、遠すぎる」
「サンキュ」

 心配そうな顔を見せる夜一に、一護が苦笑した。

「では、これをどうぞ」

 浦原が笑いながら差し出したのは二つの銀色の腕輪で、浦原の目が『つけてみろ』と言っていた。何かを悟った一護とルキアが大人しくそれを腕にはめると、二人の姿にはたちどころに変化が現れた。
 一護のオレンジ色の髪は、長く伸びた黒髪に。ルキアの黒い髪は、やはり背中の半ばまで届く濃茶に。そして、霊圧は小さくまとまり、別人のものへ。 
 夜一が差し出した紐で髪を括ると、ルキアは自分の荷物を漁り、持参してきた黒縁の眼鏡を二つ取り出した。

「一護、これをかけろ」
「用意が良いの」
「変装には、やはりこれでしょう」

 感心した夜一に、どこか得意げにルキアが応じた。銀色の腕輪をはめて、眼鏡をかけた二人のどこにも、隊長格の死神の面影が無いことを確認して、夜一は浦原に視線を流した。浦原は小さく頷き、二人の姿を素直に褒めた。

「眼鏡、正解かも知れないっスね。そのままだと、黒崎サンも朽木サンも、視線の力が強すぎる」

 何もかも、隊長格ですら、逸らすことなくまっすぐに見通す視線は、ただの魂魄にはおよそ似つかわしくない。けれど、度の入っていない眼鏡の、薄い硝子を通せば、その威力が少しは和らいだ。

「偽名、どうします?」
「ま、浅野と小島でいいんじゃねえの。考えるの面倒くせぇし」
「そうだな。下の名前はどうする?」
「……えーと、太郎と花子?」
「適当にも程があるが、まあいいか」
「浦原さん、一旦腕輪外していいか?」
「どうぞ」

 適当に名前を考えた二人は、変わってしまった己の姿を確認した後、銀色の腕輪を外した。すると、長かったはずの髪や、小さくまとまってしまった霊圧は、あっという間に元に戻った。しばらくはそんな自分たちの様子を観察していた一護とルキアだが、やがて眼鏡と銀色の腕輪を自分たちの荷物の中に仕舞い込んだ。


「さて、これは差し入れっス。なるべくコンパクトにしたつもりっスけど」

 どん、と目の前に袋を置けば、二人と一体の視線がそこに集中した。

「これで全てか? どういうチョイスだ?」
「とりあえず、持って行く道具はこれで全部っス。チョイスは……まあ、天才的なアタシのセンス?」
「あ、ネエさん、これもう開けていいですかね?」
「後でゆっくりと広げるか。散らばってしまうといけないからな」
「あれ、ちょっと、朽木サン?」
「話したくないなら妙な誤魔化しを入れずに黙っていろ」
「それか、正直に言えないって言っとけよ。面倒くせえ」
「黒崎サンまで……ヒドイ……」

 妙にはぐらかした浦原の物言いを、コンは無視し、一護とルキアは平然と切り捨てた。その昔、この男のはっきりしない物言いと圧倒的な説明不足に、それはそれはやきもきしたり苛々したり、煮え湯を飲まされるどころか実際に血反吐を吐くような目に遭っていたが、今となっては感情を動かすだけ無駄だと悟っている。何故なら、こういう時のこの男は絶対に口を割らない。
 どうせ何も言わない浦原よりも、与えられたずっしりと重い荷物の中身の方がずっと気になった。明日の出発前に、何が入っているのかしっかり確認しておきたいところだ。
 泣いているふりをしている浦原を放っておいて、一護とルキアは夜一に向き直った。浦原が口を割らないからと言って、彼女に問い質すこともまた不可能だとわかっている。だから、ここでも無用な論争は起こらなかった。

「夜一さん、もう部屋戻っていいか?」
「ああ、構わんぞ。荷物を渡したかっただけだ。よく確認しておけ」
「わかりました。それでは、失礼いたします」
「何か質問があったら聞け。どうでも良い内容なら、この莫迦も答える。無論、儂らもな」
「あー、サンキュ」
「期待しています」

 物分りの良すぎる態度に、夜一が声をかけたが、一護とルキアは盛大に苦笑して歩き去っていった。その背中を眺めて、夜一も二人に負けぬほどに苦笑した。昔から見守り続けた子供らの成長は、嬉しくもあり、どこか寂しくもあった。

「昔ちょっと苛めすぎたな」
「そっスねえ……」
「まあ、言えぬことは仕方あるまい」

 夜一はぎろりと浦原を睨んだ。最後の言葉には、半分以上、自分自身の恨み言が込められていた。
 浦原は、あの二人に多くを語らぬ理由を、夜一にすら明かしてはいなかった。だが、一護とルキアよりもずっと長い付き合いの中で、こういう時の浦原喜助の往生際の悪さを、あの二人よりずっとよく知ってもいた。
 ふん、と鼻を鳴らすと、夜一はテッサイの足元で猫らしくにゃあと鳴いた。そして、慌てたテッサイを台所まで追い立てることで、低温殺菌された高級ミルクを献上さることに成功した。夜一はそれを満足そうに舐めた。台所には、腹の減る匂いが漂っている。今日の夕飯はきっとご馳走だ。



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