ルキアは銀色の腕輪をつけて、空座町を歩いていた。服装は、死覇装に黒い外套。
黒崎家を出てすぐ、ルキアは服を着替え、腕輪をはめた。白いワンピースを汚してしまうのは忍びなかったし、知り合いが無駄に多いこの場所に留まる以上、元の姿でいるのは具合が悪かった。
虚がここで消えてしまった以上、ここにいるしかない。だが、そんなのはいいわけだと気づいている。自分をこの場所に引き止めているのは、もっと別の理由だ。
このままひそやかにソウル・ソサエティに渡り、あの男を殺すのは、とても難しいがきっと不可能ではない。それをしないのは、自分が迷っているからだ。逃げていると言い換えてもいい。
ルキアは、空座町をあてもなくさまよった。一歩踏み出す度に、今までのことが頭をよぎる。彼に出会う前、彼に出会ってから、彼と離れて、また再会した後のこと。そして、今回の任務。まだ生きている、死んでしまった人。
二番隊に潜入してからの日々を、ルキアは思い出した。潜入し、虚に出会い、彼が消え、そして自分もあの場所から離れた。
ルキアは、歩みを止めた。何かが、かすかに頭に引っかかる。自分の見た光景は、どこか、何かがおかしかった。
どこだ、と呟きながら、ルキアは記憶を探った。違和感の中心にいるのは、あの虚だ。彼と共に戦った、一度目の戦闘を思い出す。そして、一人で立ち向かった、二度目の戦闘。
……それだ。
目を閉じ、何度も記憶を反芻した。超人薬を飲んでいた時の記憶は鮮明だ。何もかも、覚えている。気付いた瞬間、ルキアは目を見開いて口元を抑えた。
何故、この任務は自分たちに依頼されたのか。
拘突の性質を持つ虚は、黒崎一護以外に倒せない。けれどそれは、幾つかある理由のひとつだ。ルキアの脳裏に浮かんだのは、仮説にすぎない。けれど、一度気づいてしまえば、本能がルキアに真実を教えた。それは、おそらくこの世界で自分一人にしかわからぬ感覚に違いない。これは、この任務は。
「……私の戦い」
どこか呆然とした面持ちで、ルキアは小さく呟いた。そして、のろのろと周囲を見た。空座町の街並みが、広がっている。
必死に考えを巡らせる。止まっていた思考が、動き出す。拘突の性質を持つ虚。長い爪先が彼を傷つけ、その爪先が不気味に光った。昔、よく似たことをした虚がいた。もし、能力も似ていたとしたら。
何故、私はここにいる?
ルキアは無意識に自分を抱き締めた。おそらく、偶然ではないのだ。あの虚は、この時間を目指して走った。ならば彼は、あの虚と、どの時間に走ったのだろう。胸の悪くなる想像だが、外れているとは思わなかった。きっと、あの人が死ぬ瞬間を、彼は目の当たりにした。
ルキアは唇を噛み締めた。うまくいけば、あの虚の行動を、先回りすることができる。
ルキアは息を飲むと、意識を集中して鬼道の詠唱をはじめた。準備には、長い時間がかかる。
自分の心は、まだ乱れている。それでも、倒さなければならない。
「……疲れてるのね?」
「はい」
会った瞬間はっきりと指摘されて、ルキアは苦笑した。あっさりと認めたルキアの額を細い指先で弾くと、真咲は屈託なく笑った。
「一日で、随分髪が伸びてるけど」
「ええ。気がついたら伸びていました」
「色も変わっちゃった?」
「はい」
冗談を交わしながら、真咲とルキアは連れ立って台所へと向かった。一人でいい、と真咲は言ったが、ルキアが強引に手伝いを申し込んだ結果だ。
ルキアがハムときゅうりを切っている間に、真咲は鼻歌を歌いながらフライパンで薄焼き卵を焼いた。あっという間に焼きあがった卵をルキアに託すと、真咲はフライパンの横の、たっぷりのお湯が入っている鍋の中に、素麺をぱらりと落とした。
ルキアは、真咲の焼いた卵を千切りにした。茗荷とネギも刻む。真咲の鼻歌と、自分の包丁の音のリズムがあっていることが、おかしかった。
「練りゴマ取ってくれる? 冷蔵庫の中」
「はい。……さつまいも?」
「ああ、それね。明日のおやつに、芋ようかんを作ろうと思ったの」
「……なるほど」
真咲の指示通りに冷蔵庫を開けると、ボウルの中で水にさらされているさつまいもが目に入って、ルキアは思わず声をあげた。そして、真咲の言葉に納得する。芋ようかんは、彼女の夫の大好物だった。
「そうだ。ごはんが終わったら、作るの手伝ってくれる? 明日の昼に食べようか。ちょっとおいしいよ。自慢なの」
「はい」
「毎日のようにリクエストしてくるのは、どうかと思うんだけど。面倒だし。だから、基本的に断ってるんだけど、たまにはね」
「その割に、楽しそうですね」
「……そんなことない」
不満気に口を尖らせながらも、表情はとろけるように柔らかい。ルキアがそれを指摘すると、真咲の顔にさっと朱がのぼり、ルキアは吹き出した。
ルキアが練りゴマを手渡すと、真咲は作ってあっためんつゆの中に、練りゴマを混ぜた。刻んだ薬味を皿に盛り付け、茹で上がった素麺を冷やして食卓へと運んだ。そこに昨日の残り物の煮物や焼き魚が並び、昼食は出来上がった。台所から出る前に、真咲は冷蔵庫の中のさつまいもを、蒸し器にセットした。火加減を確かめて、真咲は食事の席についた。
いただきます、と言ってから、ルキアはそうめんを口に運んだ。予想通りのおいしさに、ルキアの口元が綻んだ。彼女は料理が上手だ。
「おいしい」
「良かった」
食事を終え、真咲とルキアは、先日と同じように一緒に後片付けをした。その頃にはさつまいもが蒸しあがっていたので、あついあついと騒ぎながら、二人で裏ごしした。あまりにも熱くて、なんだかそれがおかしくて、裏ごししたさつまいもを練り上げて冷蔵庫に入れるまで、真咲とルキアはずっと笑っていた。
昼食とおやつ作りの後片付けを終えたルキアは、やはり先日と同じようにバスタオルを押し付けられ、バスルームへと強引に押し込まれた。
ルキアは風呂からあがると、死覇装を着て、外套を纏った。リビングに現れたルキアを見て、真咲は神妙な顔をした。
「休んでいけばいいのに」
「やることがあります」
「そう」
真咲はそれ以上の詮索をしなかった。そして、机の上に置いてあった包みを、ルキアに渡した。まだ少し温かい。おにぎりよ、と言って真咲は微笑んだ。
「この子が生まれたら、会いに来て」
ルキアを見送る時に、真咲が言った。その手は、柔らかく自分の腹を撫でていた。この言葉は、彼が生まれるまでの間、ルキアを見送る度に繰り返されることになる。