「……」
浦原は、相変わらず呆然としたまま一護のことを見据えている。だが、本当に驚いたのは、次の瞬間だった。一護の手が、浦原の懐に入り込む。
「……ヘン、タイ」
「うっせーよ。テメーが丸腰で乗り込んでくるわけねぇだろ」
ごそごそと浦原の身体を探っていた手が、何かを掴んで止まった。引っ張り出したのは、小さなお守り袋だ。
「似合わねぇな」
そのお守り袋の中身を取り出すと、一護は唇の端を吊り上げた。中に入っていたのは、およそ神仏とは縁がなさそうな機械だ。そして一護には、それに見覚えがあった。自分の懐を漁ると、全く同じものを取り出す。ここでもまた、浦原の目が見開かれた。
袋の中身を自分のものと入れ替えて、一護は袋を浦原の元へと戻した。手の中に残った小さな機械は、力を込めれば簡単に砕けた。
言葉を話すことすらままならぬ二人は、こちらを睨んでいる。一護はそれを眺めながら、記換神機を指で弾いた。
「どうすんだ、これから」
「……お前、もう部屋から出ない方がいいな。もう誤魔化せねぇ」
「そうみたいだな。あー、せっかく外に出られると思ったのによ。ま、ぬいぐるみの時と一緒か。何とかなるだろ」
軽口を叩きながらも、コンの表情は暗い。違和感があって何気なく頬を撫でると、手についた血に驚いた。鏡で確認すると、頬が浅く斬られている。
「おい、どうした」
「……この義骸、おかしい」
「は?」
「痛くねぇ。この傷も、お前にどつかれたトコも、痛くねぇんだ。義骸って、痛覚ねぇのか?」
一護は首を傾げた。昔ルキアが使っていた義骸に、痛覚が無いとは思えなかった。
あの妙なところにこだわる男が、そんなことをして、何を企んでいるのか。
一護は、手に残る機械の残骸を見てため息を吐いた。携帯食料といい、意味のわからぬ機械といい、持たされた時には使うと思えなかった品々を、使わねばならない状況に追い込まれている。
「嫌な感じだな」
「ああ」
ただ虚を倒すだけの任務が、不気味に重くのしかかっている。
一護とコンは、ここにはいないもう一人のことを考えていた。ここには、彼女が足りない。
「……何してんだろうな」
コンの言葉が誰のことを指しているのか、痛いほどよくわかった。
「……多分、大丈夫だ」
「何だよ、その微妙な間は。何か知ってんのか?」
自分が遭遇した出来事の全てを、コンに説明することは難しい。だが、彼女はきっと母親に会っているのだろう。
一護は、もう何度も反芻した母親の言葉を、もう一度思い出した。心のままに進め、と母は言った。母と彼女との間に何があったのか、心のままに彼女がどんな選択をするのかはわからない。
「コン、この状況どうしたい」
「どうもこうもねぇよ。さっさとネエさんと合流して虚を片付けて、家に帰りたいに決まってんだろ」
一護の唐突な質問に、コンは即答した。それは心からの答えだ。コンの答えに一護は笑った。
「俺もだ」
一護は、彼女と出逢った瞬間のことを思い出していた。あの瞬間から、とても長い時間が経った。
(心のままに)
たくさんのことがあった。辛いことも、苦しいことも、悲しいこともあった。けれど心は、縺れ合う悲劇の果てに辿り着いた今を選んでいた。
隊長になった日の光景が、鮮やかに脳裏に蘇る。あの日に見た全てのものが、今この瞬間も、一護の心を照らし出している。
「ネエさんは、どうなんだろうな」
「信じてろ。あいつが、俺たちを見捨てるわけねえだろ」
死んでしまった人たちを見れば、心は揺らぐ。それでも、あの光景を無くしたくないと心から思った。同じ光景を見た相棒は、きっと同じ事を考えてくれるはずだ。
出会わなかった未来など、想像できない。
「何じゃ、寝ておったのか」
「そうみたいっスねえ」
あふ、と大きなあくびをして、うだうだと浦原は起き上がった。二人で考え込んでいたはずなのに、そのまま部屋でぐっすりと寝込んでしまった。どうも、疲れていたらしい。夜一も眠そうに目元を擦っている。
「夜一サンの部屋で寝てたなんて知れたら、殺されちゃうかもしれないっスねえ」
くしゃりと髪を掻きあげて浦原が呟く。頭に浮かぶのは、夜一に忠実すぎる黒髪の少女だ。身体を起こした瞬間に、予想外の痛みを左手に感じて、まじまじと見入った。
「あれ、何で手が痺れてるんスかね?」
「寝違えたんじゃろ」
「夜一サン、寝ぼけてボクを蹴ったりしませんでした?」
「否定はできんの。無意識じゃ」
「勘弁して下さいよ」
浦原は、ひらひらと左手を振った。大したダメージではないが妙に気になって、懐のお守り袋を探った。簡単な録音機だ。特に異常はない。万一記憶が消されたとして、これに気付く者がいるはずがない。
「なーんか疲れたし、帰ります」
「うむ。そうしろ」
簡単な挨拶を交わし、浦原は部屋を出た。ひとり残された夜一は、服に仕込んでいた暗器のうち、ふたつの棒手裏剣が僅かに刃こぼれしていることに気づき、しきりに首をひねっていた。