「ルキア!場所は!?」
「この先だ!」

 片手に伝令神機を操り、ルキアが叫んだ。二人同時に虚の気配を感じ、一護はその場所に向かった。

「大丈夫か!?」

 倒れている十三番隊の死神達に、ルキアは声をかけた。しかし、反応はない。一護が息を呑み、駆け寄ろうとするのをルキアが制した。

「霊圧を感じる。誰も死んではいない。それよりも……来るぞ」

 ルキアが睨み据えたその先に、大虚の群れが見えた。空の割れ目から顔を出しているそれらは、今にもこの空間へと身体を滑り込ませようとしていた。

「ルキア。四番隊……」
「必要ない。私で十分だ。そちらは任せる」
「……わかった」

 ルキアの力が、どれほどのものなのかを一護は知らない。ルキアが修行を積んでいた話はそれこそ色んな人に嫌になるくらい何度も聞いたが、どれくらい強くなったのかを目の当たりにしたことがない。だが、一護は理由もなく彼女の言葉を信じた。

「一護。傷ひとつ付けさせるな。今ここにいる死神全てにだ」

 その命令には返事をせず、一護は飛び出した。了承は、空気だけで伝わったに違いない。巨大な刀を振り回し、大虚を一体、両断した。ルキアは戦闘から無防備に背を向けて、隊員の治療に入った。自分の背中は絶対に安全だと知っていた。



「……う……」

 温かい霊圧に包まれて、やがて隊員達が目を覚まし始めた。その様子にルキアが微笑む。全員の命は繋いだが、完全に治すには四番隊での治療が必要だ。さすがに、瀕死の死神を何人も治すのは、霊力を使い過ぎた。
過度の霊力の放出で、顔色が悪いルキアを、隊員はもう大丈夫だと気遣った。けれども、瀕死の者が遠慮をするな、と優しくはねつけられる。
 治療を続け、ルキアが荒れた呼吸を抑えて額の汗を拭う頃、ルキアの背後から騒々しい霊圧が足早に近付いてきた。

「朽木!大丈夫かあ!」
「ウルサイ!大声で叫ぶな!朽木さーん!大丈夫―!?」
「ルキアさん!一護さん!無事ですか!?」

 騒々しい口喧嘩をしながら、十三番隊の第三席二名が姿を現した。その後ろに、急遽呼ばれた四番隊の花太郎が続いている。ばたばたと、十三番隊の隊員達も現れた。青ざめた顔をして振り向いたルキアは、それでも微笑んだ。

「私は大丈夫です」
「どこがですか!顔真っ青じゃないですか!と、とにかく怪我人をこちらへ……!ルキアさんも!」
「私はいい」

 ルキアから怪我人を引き受けた花太郎は、ルキアにも治療が必要だと訴えた。けれど、当のルキア本人が、凍り付いたようにその場所から動かない。鋭い表情で、ただ黒崎一護を見ている。自分の霊圧を制御できず、大虚の群れにひとつ、またひとつと傷を増やしている。
 虚の攻撃で一護が大きくバランスを崩し、別の虚がその隙をついて一護に一撃を入れた。
近くに生えていた大木に一護が激しく激突し、治療をしていた者もされていた者も、その場にいた全員は思わず振り向いた。

「加勢する!」
「抜け駆けするな小椿!自分も!」
「お待ちください。加勢は必要ありません。……今は、まだ」

 抜刀した三席の二人を止めたのは、ルキアの静かな声だった。木にぶつかって跳ね飛ばされた一護が、呻きながら立ち上がる。

「ルキア、吹っ飛ぶなよ」
「たわけ。飛ぶものか」
「卍解」
「……縛道の八十一、断空」

 霊圧が渦巻き、黒い刀が姿を現した。疲れ果てたルキアが詠唱破棄で唱えた縛道は、一瞬でひび割れ、すぐに崩れ去った。しかし、卍解の瞬間の霊圧さえやり過ごせば、あとはもう大丈夫だ。ルキアは眩む目を細め、前を見据えた。

「…天鎖……斬月……!」
「と、とにかく怪我人を運べ!もっと遠くだ!避難しろ!」

戦う一護の姿に、清音が息を呑んだ。仙太郎のきびきびとした指示に、同じように一護に見入っていた死神達が、一斉に動き始める。際限なく溢れる霊圧は、怪我人には毒だ。
 怪我人の避難が終わると、死神達は改めて戦う一護の姿に見入った。正確には、その手に握られた刀に。その漆黒の刃は、正反対のある刀を連想させた。黒髪の小柄な死神の持つ、純白の刃。
 気を抜くと吹き飛ばされそうになる霊圧の中で、小柄な身体をまっすぐにのばし、ルキアは立っていた。蒼白な顔をしたルキアに、治療を勧められる者はいなかった。誰が何を言ったところで、彼女がここから動かないことはわかっていた。

「月牙……天衝!」

 一護は黒い刀に霊圧を乗せて、天に放った。残像すら見えない動きで、虚の腕を斬り飛ばす。けれども数十年ぶりの卍解で、一護の身体が御しきれぬ霊圧を持て余していることは明らかだった。
 一護のその姿に、ルキアがはっきりと舌打ちした。思い通りに動かない身体に焦り、更に自らを追い込んでいく一護の心の動きが、手に取るようにわかった。

「行くぞ。袖白雪」
「え、朽木さ…」

 清音が止めたときには、もうルキアは走り始めていた。その手に握られているのは、斬月と真逆の純白の刀。それを振り上げると、迷い無く一護の背中に突き刺した。

「なっ……!」

 ルキアの行動に、誰もが言葉を失った。ルキアは斬魄刀ごしに、自分の霊圧を一護に注ぎ込んだ。もう戦うこともできない霊圧の残滓だが、それでも十分だった。

目的は、呼び覚まし、導くこと。

 力を使い果たし、眩み始めた視界の先でただひとつ光り続ける霊圧に、ルキアは叫んだ。

「行け!」

 それだけを叫ぶと、ルキアは膝から崩れ落ちた。もう、目を開けることすらできなかった。ばたばたと、だれかが駆け寄ってくる音が遠く聞こえる。

「く、朽木!?」
「あ、あぶない!」

 ルキアに駆け寄った仙太郎と清音は、揃って悲鳴をあげた。倒れたルキアに夢中で、背後に警戒を怠った。大虚の攻撃が、すぐそこに迫っていた。

「縛道の三十九、円閘扇」

 けれどもその攻撃は、仙太郎と清音と、そして倒れたルキアに届く前に、霊圧の盾に阻まれた。その盾を作り出したのが誰なのか、確認するまでもない。その姿を見ていた花太郎が呆然とその名を口にした。

「一護……さん……?」

「破道の三十三、蒼火墜」

 迷いのない瞳で唱えられた破道は、炎の塊を作り出すと、正確に虚に命中した。
 黒崎一護は、まるで霊圧を制御できず、鬼道はまるで使えないのではなかったか。
 
 一護は、刀を振りかぶった。その姿に、今までの焦りは無い。制御できなかったはずの霊圧を、どんな風に使えばいいのか手に取るようにわかった。その理由は、考えるまでもない。

(『行け!』)

常に自分を導いてきた霊圧が、身体の中にあるからだ。
 力任せに大虚を切り裂き、地面に着地した。急に動きが変わった獲物に、大虚達も本気を出し始めた。絶え間なく降り注ぐ攻撃の中、ある一体の爪で、一護の頬と、腕の皮膚が裂ける。だが、一護はそれに構わずに跳んだ。

「ちょっと下がってろ」

 立ちつくす死神達の前に着地し、そう告げる。その言葉には有無を言わさぬ響きがあって、皆、言われるがままに数歩下がった。その響きも、凛とした立ち姿も、ある死神によく似ていて、死神達はもう何度目かわからない息を呑んだ。
一護の傷ついた手に、流れる血を止めるように、傷口に薄く氷が張っているのを花太郎はたしかに見た。違和感の正体に思い至り、花太郎は弾かれたように、倒れている死神を見つめた。鬼道として一護の手から放たれているこの霊圧は、一護のものではない。……一護のもの、だけではない。漆黒の霊圧の中、それを導くように散らばる、真白に煌めくうつくしい霊圧の欠片。

「ルキアさん……?」
「破道の六十三、雷吼炮」

 雷を帯びた霊圧の風が、死神達の身体を襲った。衝撃に耐え、目をこらして前を見ると、目前に大虚はもう一匹しかいなかった。

「月牙……天衝!」

 一護は黒い刀に霊圧を乗せ、目前の虚に放った。虚は、二つに分断され、塵となって消えていった。

「おい!大丈夫か!?」
「あー……大丈夫。皆無事か?」

 ぴたりと動きを止めた一護に、仙太郎が駆け寄る。死神達の心配をよそに、一護はけろりとした顔で、逆に死神達の無事を確かめた。

「黒崎五席!怪我は!」
「あー、大丈夫だ。なんか応急処置されてるし」

 ほれ、と一護が腕を見せると、傷口を覆った氷に、死神達はそれ以上の言葉を紡ぐことができなかった。

「朽木さん!朽木さん!」
「一護さん!ルキアさんが……!」

 清音が涙声で揺さぶっているのは、蒼白な顔をして、目を閉じている朽木ルキアだった。花太郎も焦った顔をしている。手に鬼道を集中させ、ルキアの額にかざした。けれど、ルキアの顔色は戻らない。

「怪我はないはずなのに、全然意識が戻らないんです……。霊圧も弱くなってるし、どうすれば……」
「あー、ちょっとそいつ貸してくれ」
「お、おい黒崎!?」

 一護は刀を持ったまま倒れているルキアに近付くと、その小さな身体に己の刀を突きつけた。両手で持った刀の切っ先を、躊躇いなくルキアの胸の中心に突き刺し、一護は呟いた。

「さっさと起きろ」

 一護が刀をルキアの身体から引き抜くと、変化はすぐに現れた。まぶたがふるりと震え、朽木ルキアがうっすらと目を開けた。

「……終わった、のか」
「お陰様でな」
「そうか。……ならば、もう少し寝ていても問題はないな」
「そうだな」

 それだけ言うと、ルキアは再び目を閉じた。そして、それを合図に一護もまた崩れ落ちた。

「朽木四席!黒崎五席!」
「大丈夫です、眠ってるだけです」

 慌てた周囲を、花太郎が制した。ルキアの霊圧は安定し、頬にも僅かだが血色が戻っている。一護にも、これといった異常はない。

「霊圧の譲渡を二回もこなせば、この二人でなくても倒れますよ。……普通は死にます」
「なんつー無茶を……」
「これは、浮竹隊長にしっかり叱ってもらわなきゃ」

 眠りこける二人を尻目に、仙太郎と清音はそう誓い合っていた。こんな戦い方を続けられたら、本人達はともかく、周囲の心臓に悪すぎる。今ここにいる死神達の寿命は確実に縮まった。
 化け物でも見るような周囲の視線をものともせず、二人は平和そうな顔ですやすやと眠っていた。





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