「ね、ネエさん!」
浦原と夜一の手によって四番隊に運び込まれた二人の元に、真っ先に駆けつけたのはコンだった。既にその場に居た四番隊隊長と副隊長、そして花太郎は、ぬいぐるみを見つけると、無言でルキアの枕元に導いた。
涙を流し眠るルキアの姿に、コンはボロボロと涙を零した。自分をいつかのようにこの場所に導いた黒猫は、にやりと笑うだけで何も言わなかった。そして目の当たりにした二人の姿に、確かに感じるルキアの霊圧に、コンはルキアの頭に縋って何度もその存在を確かめた。
夢ではない。幻でもない。確かに彼女の気配は戻っている。
帰ってこいよ、と呟いて、二人を送り出してから、まだ数時間しか経っていない。
その数時間で、世界は何もかも変わってしまった。そしてこの二人は、約束を果たし、この場所に帰ってきてくれた。
ルキアに縋って泣いていると、ルキアの睫毛がふるりと震えた。
「……コン」
僅かに開かれた紫の瞳が、確かに自分を捉えた。そして視線を合わせた瞬間、うわ言のように呟かれたのは自分の名前。かつてこの二人に与えられたもの。気に入らないと訴え続けていた名前の響きの美しさを、はじめてコンは実感した。
ルキアはすぐに目を閉じ、何事もなかったかのように沈黙が落ちた。けれど一瞬だけ見えた瞳と、自分の名を呼ぶ声の響きで、コンは全てを悟った。ようやく、彼女が戻ってきたのだと。
「……ありがとよ」
呟いた声は、ルキアではなく、コンの背後で眠りこけている死神に向けてのものだった。コイツに礼なんか金輪際言うものか、と妙な誓いを立てて振り絞った言葉は、眠る死神には届かなかった。
コンはちぎれかけた腕で涙を拭い、泣くのを堪えた。そして、誰も気付かぬとわかっていながら、にやりと笑ってみせた。敬愛している女神のように、不遜に笑うことができただろうか。
「もう二度と言ってやんねえぞ。ざまあみろ」
笑みを取り繕ったはずなのに、その声は無様に掠れた。
阿散井恋次は、布団から飛び起きると、寝間着のまま部屋を飛び出した。そのまま走りだそうとして、自分の部屋の前に佇んでいた意外な人物に、慌てて足を止めた。
「朽木隊長!……ルキアが……!」
「行くぞ」
言葉の余韻だけを残し、その場から消えた上司を、恋次は慌てて瞬歩で追いかけた。その間も、確かに戻っている幼馴染の気配に、心が騒ぐのを抑えられなかった。彼女の姿を己の目で確認する為、恋次は走った。
「ルキア!」
ルキアの霊圧を追って辿り着いた先は、四番隊の救護室だった。その場には、四番隊の面々と、結局追いつけなかった上司と、黄色いぬいぐるみと、もう二人。ベッドに横たわっているのは、黒崎一護と朽木ルキアだった。反射的に卯ノ花烈に視線を送れば、卯ノ花は穏やかに微笑んだ。
「少し衰弱していますが、じきに回復します。……霊圧も、心配ないでしょう」
「じゃあ、ルキアは……」
無言で笑って頷いた卯ノ花に、恋次は膝から崩れそうになるのを堪えた。泣きたいのか笑いたいのかわからなかった。しばらくその穏やかな寝顔を眺めていると、ばたばたと走り込んでくる気配があった。
「……朽木!」
長い髪を乱し、駆け込んできた浮竹十四郎は、急な運動に少し咳き込んでから、二人の部下を見下ろした。
「……やったなあ」
浮竹は、しみじみと呟いた。無事に帰ってきた二人の部下にかけるねぎらいの言葉が見つからずに、しばらくその場に立ち尽くした。すると、ばたばたと廊下を走る足音が響いた。
「朽木ィ!」
「朽木さん!」
「おやまあ」
飛び込んできた十三番隊の三席二人に、卯ノ花は困ったように笑った。耳をすませば、廊下を走る別の誰かの足音が聞こえる。このままでは、かつてのように病室に隊長格が全員集合する事態になりかねなかった。
「どうしましょう、勇音」
「どうしましょうって……どうしましょう?」
困り果て、助けを求める目で見ている副隊長に微笑みを返し、卯ノ花はしばし静観をすることに決めた。微笑を絶やさない顔の裏で、本当は彼女が何を考えているのかは誰にも分からなかった。
「騒がしくなりますよ」
卯ノ花は、いたずらを告白するように、ルキアの枕元にいる黄色いぬいぐるみにそっと囁いた。コンはひとつ、頷いた。
これから騒がしくなる。これから先、ずっとずっと。昔の一護の部屋のような、騒がしい毎日が、きっと戻ってくる。
(俺が隊長になったら、副隊長にしてやるよ)
コンは、かつてルキアが見せた、死神代行最後の光景を思い出した。その言葉の中には、確かに自分の未来も含まれていた。自分は、ずっとこの二人と一緒にいると決められている。
ルキアが記憶を失っている間の出来事は、もう既に遠い場所にあった。コンは息を吸い込むと、自分の胸に、途方も無い、いっぱいの希望が広がっていることに気がついた。
その希望は果てなく、ずっと未来へと続いていた。