「五席……、ですか?」
「ああ。朽木の下だ。霊術院に入ってもらって、入隊試験を受けさせるという案もあったんだが……。今更試験は必要ない戦力だし、霊術院に入ったら生徒が一護君の霊圧で倒れる可能性もあるからね。いやあ、すごかった!全隊が希望するなんて、前代未聞だ」

 隊長不在により、隊長格の戦力を渇望している三番、五番、九番隊はもとより、明らかに一護ではなく、一護と親しい黒猫目当てな二番隊、『あの餓鬼を野放しにしたら、死神の品位が地に落ちる』と言い放った六番隊、将来有望な若者に任侠道を叩き込む、と副隊長共々豪語した七番隊、面白そうだから、と参戦した八番隊及び十番隊、他の隊と同様に『面白そうじゃないカネ』と言いつつも、全く別のことを考えていそうな十二番隊。そして、『とりあえず殺し合いがしてぇ』と本来の目的を全く見失っている十一番隊。
意外だったのは、『赤子を自ら育てるというのも悪くない』と言いながら総隊長が参戦したことと、何を思ったのか治療専門の四番隊までもが手を挙げたことだった。
治療しかできないと馬鹿にされないために、用心棒としての戦力が欲しかったのか、黒崎一護を利用して、朽木ルキアを正式に四番隊の隊員として引っ張りたかったのか……その真意は定かではないが、ともかく、こうして全ての隊が黒崎一護争奪戦に名乗りを上げた。

そして、護廷中の隊長格が一堂に会し、火花を散らす中で、見事黒崎一護を自分の隊に引き入れた浮竹は得意げに笑っていた。

「一護君の教育係は朽木しかいないだろう!しかも、俺はいつ血を吐くかわかったもんじゃないぞ!うちは副隊長もいないし、俺に何かあったらどうするんだ!現に、今この瞬間に俺は血を吐きそうだ!」

 にこにこと笑いながらとんでもないことを口にし、周囲を凍らせて強引に一護を勝ち取ったことなどおくびにも出さず、『十三番隊 第五席!』と浮竹直筆の文字が書かれた辞令をひらひらと振った。正式なものではないが、こういうのは気分が大事だ、と浮竹は思っている。

「よろしく、お願いします」

 必要以上にかしこまって紙を受け取ると、一護ははにかんだように笑った。過去に色々とありすぎて、こうして普通の死神のように護廷で働くのが少し照れくさい気持ちもわかる。しかし、それはすぐに慣れるだろう。なにせ、黒崎一護の教育係は、彼を死神にした張本人で、最も気心の知れている相手だ。

「朽木にも一応伝えてはあるが……挨拶しにいったらどうだ?」
「……」
「なるほど、照れくさいかい」
「そ、そんなことねえ!……じゃなくて、ない、です」
「じゃあ行っておいで」

 今度は露骨に、視線を逸らされた。今までずっと対等だった存在との距離が突然変わることに、戸惑っているのだろう。どれだけ目をそらしたところで、今日から実質的に黒崎一護の生活の全てを取り仕切ることになる存在から、逃げ切れるはずはない。
 浮竹の揺らぐことのない笑顔に押され、一護はしぶしぶ雨乾堂を出た。


「あれ、ルキアは……?」


 行き交う死神に、今ここで仕事をしている死神。四方八方から投げられる無遠慮な視線に多少居心地の悪い思いをしながらも、仕事をしていた仙太郎と清音に尋ねてみれば、ここにはいない、との解答。

「私服だと目立つから、一旦帰って死覇装に着替えてくるって。待ってたら?」
「……はい」
「あはは、なーんか変なカンジよねえ!まあ、ヨロシク!」
「はい、よろしくおねがいします」

 鳴り物入りで入隊した新人を、仙太郎と清音は満面の笑みで迎えた。はにかむような笑みと意外な礼儀正しさは、遙か昔出会った頃と変わっていない。外見も少年と青年の間に佇むあの頃のままで、仙太郎と清音は、無言でこれからの成長に思いを馳せた。


「あ、来たみたい」


 氷のように清冽な霊圧を感じ、清音が扉を見た。まさにその瞬間、扉が開け放たれ、現れた人物に、その場にいた十三番隊の隊士は、仙太郎と清音を含めみな絶句した。

「朽木……、その髪」
「今日から忙しくなるでしょう。長い髪では、邪魔ですから。……それに」

仙太郎に至っては、指を指したまま二の句が継げずにいる。ルキアは、未だ固まったままの隊員に苦笑したように微笑んだ。

「もう、伸ばす理由がありません」

 かつて一護と行動を共にしていた頃のように、肩の辺りで切り揃えられた黒髪が、風にそよいだ。
 朽木ルキアは、美しい長い髪を持っていた。何十年も前から伸ばし続け、一度も短くなっていない漆黒の髪は丁寧に手入れされ、いつでも朽木ルキアの頭の後ろで、あるいは横で、持ち主の白い輪郭を際立たせるようにさらさらと揺れていた。

 その髪をあっさりと切り落としたルキアは、不意に不遜な笑顔で、未だ固まっている年若い死神の方へと向き直った。姿形も、雰囲気も、幾分大人びたルキアだが、その笑顔は現世にいた頃のままで、一護の理由のない緊張は幾分解け、肩の力が抜けた。


「おい、死神」
「なんだ、糞餓鬼」


 初めて会った日と同じ呼称で、二人は呼び合った。それは、二人にとって儀式のようなものだった。

 一護が無言で手を振り上げると、ルキアもまた、同じように手を上げた。己の手を、相手の手に打ち付ける。パァン、と弾けるような音が響いた。呆然とする隊士達を尻目に、一護もルキアも笑顔だった。

「せいぜい励めよ」
「テメーもアホみてーな特訓すんじゃねーぞ」
「相変わらず失礼な奴だ」

 それだけで、もう挨拶は済んでしまった。
 ルキアは、胸に数十年間忘れかけていた感情が戻るのを感じていた。いままで何十年も、心は凪いだ海のように穏やかで、それが幸せだと疑っていなかった。だが、熱く揺れるこの不安定な心もまた、目眩をもたらすような幸福だった。

 周囲は未だに固まっている。思えば、自分のこんな表情も、ぞんざいな口調も、荒削りなコミュニケーションも、他の死神には見せたことが無いことに気づき、ルキアはもう何度目かわからない苦笑を零した。

「ネエさーん……」

 その時、どこかで誰かに折檻を受けたのか、ボロボロになったコンが身体を引き摺って現れ、ルキアの足下でぱたりと力尽きた。

「たわけ。女と見れば飛びつくからだ」
「いやあ、死神女子はレベルが高……ハッ!ネエさん!その髪!」
「ああ、切った」
「昔のネエさんだー!」


 感激して泣きながら飛びついたコンを足で止め、ぐりぐりと踏みにじりながらもルキアは笑っている。そして、コンの方はというと、その状況で喜びにむせび泣いている。その異常な光景は一護にとっては見慣れたものだが、この空気から察するに、他の死神はそうではない。

「おい。周り引いてんぞ」
「しまった。イメージが崩れるな」

 そう言いつつも特に隠す気はないのか、ルキアは平然としている。現世でのミス猫かぶり時代なら、全力でクラスメイトに記憶置換を散布していたところだ。つまり、ここでは割と素を出しているということか。ルキアの成長に、一護は少しだけ綻ぶ顔を誤魔化すようにして、必要以上に眉間に皺を寄せてコンを拾い上げた。

「あんまり妙な真似すんなよ。こっちが迷惑すんだよ」
「ハァ?偉そうに何言ってやがる。テメエの都合なんか知るかよ!」
「それがな、私達は貴様の身元引受人になってしまったのだ。……というかコン、貴様、自分が廃棄処分されかけた身だと覚えておるか?」
「あ、そうだった。……!!……まさか……俺は殺されるんですか!?」
「たわけ。そんなはずなかろう。貴様には特例措置が取られた。私と一護で面倒を見るように、とのことだ」

 実は、特例を認めずコンを廃棄処分に、という話もあった。けれど特例措置が取られたのは、全ての隊長格の前で一護とルキアが、堂々とソウル・ソサエティを恐喝したからだった。

『廃棄処分なら、今すぐ死神をやめる』
『あやつを連れて、どこまででも逃げます』

 このときに一護とルキアが真顔だったのは、何の迷いもなく、そして本気だったからだ。しかも、それを成し遂げるだけの能力も人脈も十分すぎるほどに持っていた。この二人の頼みなら面白がって協力するであろう元隊長の面々を思い出し、総隊長は苦々しく息を吐くと、小さく『わかった』と言った。その言葉に、一護とルキアの顔は綻んだ。
 ……勿論、そんないきさつをコンは知らない。そして、一護とルキアにも教える気がない。自分達は当然のことをしただけだ。全てを捨ててでも、守らなければならないものがある。その中に、いつも虐げられてばかりのぬいぐるみは勿論入っているのだが、二人はそれを頑なに認めようとはしなかった。

「仕方ねえなあ!また俺様がテメーらの面倒を見てやるよ!」
「エラソーに」

 ひとまず命を安堵したコンは、もうすっかりいつもの調子に戻っていた。一護とコンが口喧嘩をしているのを見るのは本当に久々で、ルキアはまた心が波打つのを感じた。
もう、長い髪は必要ない。懐かしい長さに切った髪を揺らして、すう、とルキアは息を吸い込んだ。こんな声を出すのは、実は本当に久しぶりだ。

「こら、たわけ共!遊んでいる場合か!挨拶回りに行くぞ!」
「うげ、面倒くせ」
「文句を言うな!」
「ネエさーん!俺も行くぜ!」

 コンがルキアの肩にぴょいと飛び乗った。そしてさも当然のように、ルキアは一護の背に乗った。

「まずは一番隊だ!」
「へーへー」

 そして、風のように一護は立ち去っていった。残された隊員達は、一護が巻き上げた風で書類が舞い上がるのもそのままに、二人の行く先を目で追っている。

「ハイハイっ!仕事に戻る!」
「そ、そうだ!全員、仕事に戻れ!!」

 はっと正気に返った仙太郎と清音が、手を打ち鳴らしながら隊員に覚醒を促した。
 黒崎一護は、これから十三番隊の正式な一員となる。この光景が彼らにとって日常ならば、一々固まっていると身が持たない。
 それでも、初めて見る奔放な朽木ルキアに慣れるのは少し時間がかかりそうだ。呆れているはずなのに、微笑んでいるとしか思えない顔で、清音はどうなるのかな、と独りごちた。


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