「……テメエらはいつまでくっついてるつもりだあ!」
叫び声は、一護の懐から。
渾身の力で両手両足を踏ん張り、必死に一護とルキアを引き離そうとしているのは、随分と懐かしいぬいぐるみだった。
「コン!」
「ネエさーん!ネエさんネエさーん!」
目玉から大量の涙を流しながら、コンはルキアの胸元に飛び込んだ。夢にまで見た再会に、コンはルキアの胸元に縋り付いた。そのまま胸元に潜り込もうとしたコンを、ルキアは容赦ない力で地面に叩き付けた。
「さっすがネエさん!それでこそネエさん!ついて行きます!一生!」
「久しぶりだな!」
地面に叩き伏せられ、それにすら感激してコンは叫んだ。その反応でルキアの顔に、ようやく笑顔が浮かぶ。
「おーい!朽木!再会の挨拶は済んだか?」
「浮竹さん!」
「や、一護君。久しぶり。よく来たね!疲れたろう!菓子をあげよう!」
そこにいたのは、十三番隊隊長の浮竹十四郎で、微笑みながら一護に近づくと、その手に大量の菓子を押しつけた。そして、くるりと振り返ると、隊員達に号令を出す。
「警戒は終わりだ!皆、普段の仕事に戻っていいぞ!今回の騒ぎは、こちらのミスだ!すまないな!」
ほがらかに謝ると、浮竹は再び一護とルキアに向き直った。
「一護君もすまないね。浦原から総隊長への連絡が遅れたんだ。君の魂が現世に残ったままだと、他の霊への影響が大きすぎるから、強制的にコッチに送る、ってね。いやあ、まっすぐウチに来てくれて助かったよ。十一番隊だったら今頃もっとひどい騒ぎになるところだ。朽木、しばらく一護君を頼めるかな?できれば遠いところに行くといい。でないと、更木が来るぞ。俺はこれから緊急隊首会でね……。ま、議題は間違いなく一護君の処遇だろう」
争奪戦さ、と浮竹は片目を瞑った。そして、自分の言いたいことだけを言ってから、笑って瞬歩で立ち去ってしまった浮竹に、声もかけられず一護とルキアは少しだけ呆然と立ちつくした。
「そういやお前、何でそんな格好してんだ」
まるで今気付いた、とでもいうように、一護が死覇装ではないルキアの服装を指摘した。ルキアは長い髪を揺らすと、呆れたように告げた。
「たわけ。今日は休みだ。……今日が何の日か、まさか忘れたわけでは無いだろう」
「……今日、毎年休んでたのか?」
「ああ。毎年だ。まさかこの日に、貴様が飛んでくるとは思わなかった」
はあ、と溜息を吐くルキアに、一護は顔を歪めた。
「バカか」
「ああ、大莫迦だ。……ついて来い。案内してやる」
「俺はゴメンッスよ!」
地面から身を起こし、跳ねながらコンが叫んだ。一護とルキアの進行方向と、反対方向に素早く移動して叫ぶ。
「おい、コン」
「うるせえぞ一護!重い空気は苦手なんだよ!6月17日の空気なんか二度とゴメンだ!テメエはぶっ倒れてて気付かなかったかもしれねえけどな、ひどいモンだったんだぞコラァ!」
「ああ!?なんだと!?」
「こら!喧嘩はよせ!」
ぷい、とそっぽを向いたまま、コンは逆方向へと歩き出してしまった。その姿を見送り、ルキアも歩き出した。
「おい、待てよ」
「ああ、そうか、貴様がいるなら歩く必要はないな。乗せろ。北だ」
「お前、俺を何だと思ってんだよ」
す、とルキアは目的地を指差した。何の説明も無いが、ルキアの意図はよくわかったので、しぶしぶとルキアを背に乗せた。
途端、随分懐かしい感覚に、眩暈を覚えた。それをぐっと飲み込み、一護は跳んだ。
無言で二人を見送った隊員は、しばらく固まったまま動かなかった。かつての黒崎一護と朽木ルキアの話は誰もが知るところだが、あの朽木ルキアが、周囲を気にする素振りも無く、黒崎一護を固く抱きしめたことや、その背に乗って颯爽と立ち去って行ったことは、誰の想像をも超えていた。
そして、あの会話。黒崎一護はたしかに、6月17日の真相を知っていた。そして、誰にも教えなかった行き先を、朽木ルキアは彼に簡単に明かした。
……それにしても、この生き物は何だろう。
非常に気になることを叫んでいたが、このぬいぐるみも何か知っているのだろうか。
「ぐ……」
コンは露骨に突き刺さる好奇の視線に耐えられず、ぐらりとよろめいた。思えば、行くあてもない。けれど、あの二人についていくわけにはいかなかった。きっとあの二人は、かつての6月17日のようなちょっといい雰囲気で、思い出話に花を咲かせたり、無言の時間を楽しんだりするに違いない。そんな空気には耐えられない。けれど、久々の再会を邪魔する気にもなれない。困り果てて歩いていると、見覚えのある赤頭が視界に入った。これ幸いとばかりに、その肩に飛び乗る。相手は、少なからず驚いた気配があった。
「よう!ちょっと俺様を乗せろ!」
「はあ!?」
「あー助かった!ちょっとの間、男で勘弁してやるよ!」
本当なら、巨乳のお姉さんが良かった。しかし、贅沢は言っていられまい。
そう納得して肩でくつろぎ始めたぬいぐるみを、我に返った六番隊副隊長の阿散井恋次は慌てて引き剥がした。
降り立った一護の気配を感じ取って駆けつければ、一護はルキアとどこぞに消えてしまった。
恋次は、一護とルキアとコンの会話を聞いていた。少し逡巡してから、ずっと知りたかったことの答えを知っているらしいぬいぐるみに、思い切って尋ねる。
「なあ……、6月17日っていうの、何なんだ」
「ああ?オメーら、知らねえのか?」
コンの答えに、恋次は少なからず気分を害した。少なくともルキアと一緒に現世に居たこいつは、至極当然のように知っている事柄であるらしい。けれど、自分達にはルキアは何も言わなかった。それが、どんな理由からなのかも、わからない。
コンは一人で考えていた。この赤頭が知らないということは、おそらく死神の誰もこの日のことを知らないのだろう。この日の誰にも告げなかったルキアの気持ちは、コンにはよく理解できた。言ったところで、あの瞬間に詰まっていたものは、体験した者にしかわからない。
一護の母親の命日だ、と教えるのは簡単だ。けれど、ルキアがこの日を『特別』だと思っているのは、きっとそれが理由ではない。あの日に起こった出来事全てを、コンは昨日のことのように思い出した。まったく、自分のどこにこれだけのことが詰まっていたのかと驚く程鮮明に。
「命日だよ」
「……誰の」
すう、とコンは息を吸い込んだ。よく見れば、赤頭だけではなく、他の死神も息をつめて自分を見ている。これはきっと、すごく重要な台詞だ。頭に閃いた言葉を、コンは忠実に発音した。
「姐さんと一護に決まってんだろ!」
一瞬、周囲がざわついて、赤頭は虚をつかれたように固まった。自分の言葉を聞いた誰もが、とっさに想像を巡らしたに違いない。あの日を、我ながらうまく表現したものだとコンは一人でほくそ笑んだ。
6月17日、黒崎一護は死神を続けることを決意した。
同じ日、同じように、朽木ルキアは、少年を絶対に守ることを決意した。
決意の瞬間、それまでの二人はもう動かぬ亡骸のように、遥か後方へと置き去られてしまった。
全てがめまぐるしく変化していったあの6月17日は、二人の命日で、そして、今の二人が産声を上げた、誕生日だった。