「浮竹隊長!」
「お、朽木は無事見つかったか!?」
「はい」
「……何かあったか」
「……はい」

 苦笑する一護の姿に、浮竹は少しだけ戸惑った。けれど一護の纏う空気は、決して悪いものではない。それを浮竹が指摘する前に、口を開いたのは一護の方だった。

「あの、しばらく休暇下さい」
「休暇?何でまた」
「やることがあります」

 浮竹は、数日前に訪ねてきたルキアの、最後の言葉を思い出していた。

(決着をつけなければなりません)

 何があったのかは分からない。けれど、これはこの二人に必要なことなのだろう。そして、自分達には、この二人に恩義がある。
 そう納得した浮竹は、ともかく笑顔で頷いた。

「わかった」
「一応、仕事は今日中に引き継ぎしていきます。で、隊長もたまにはガッツリ仕事してください」
「えええっ!?無茶言うな、俺は病人だぞ!」
「何でっかい声で病人力説してるんですか。つーか判子押すくらい、布団の中でも出来るだろ。盆栽への情熱を仕事に使って下さい。調子のいい時だけでいいんで、よろしくお願いしまーす」

 すぐにでもどこかに行くのだと思ったら、意外にも残された仕事のことをきっちりと考えていた。そのことに驚いている間に、幾つか暴言を吐かれた気がするのは気のせいだろうか。
 浮竹と目を合わせると、一護は笑った。本当に久々に見た、屈託の無い笑顔だった。

「じゃ、俺ちょっと六番隊行ってきます」
「六番隊に?」
「白哉に、ルキアしばらく預かってもらわなきゃいけないんで」

 そう言うなり、浮竹の返事も待たずに一護は瞬歩で消えてしまった。やれやれ、と呟いて片手を頭に当てると、不意に笑いが込み上げた。

「やったなあ、朽木」

 一護の背中を押したのは、朽木ルキアだと浮竹は信じた。そして、それは正しい。ようやく、ようやく世界が動き始めた。晴れ上がった空を見上げて、浮竹は高らかに笑った。仕事熱心な第五席の抜ける穴は大きい。自分に山程回ってくるであろう仕事を思い浮かべてぞっとしたが、それでも気分は晴れていた。

「死ぬなよ!死んだら許さんぞ!」

 もう近くには居ない部下に、隊長として大声を張り上げ、命令した。その声に応えるように、池の鯉が跳ね、水滴がきらきらと太陽の光を反射した。



 浮竹への宣言通り、一護が瞬歩で次に向かったのは六番隊だった。勝手知ったるとばかりに隊首室の扉を開ければ、闖入者に驚き固まる副隊長と、視線すら動かさず、黙々と仕事を続ける隊長の姿があった。

「白哉!恋次!」
「い、一護!?どうした?」
「頼みがあって来た」

 一歩前に進み出て、立ち止まった一護にただならぬ気配を感じ、白哉もようやく顔を上げた。無言の視線に促され、一護は口を開いた。

「ルキア、しばらく朽木家で預かってくれないか?俺、ちょっと居なくなるから」
「はあ?何しに行くんだよ」
「やることがあんだよ」

 白哉は一護の顔をじっと見た。そして、確認するように問いかけた。

「それは、ルキアを置いて行かねばならぬ事か」
「……アイツの指示だよ」

 一護が困ったように苦笑した。それだけで、義妹の何かを感じ取ったらしい白哉は、小さくひとつ頷いた。

「どこへなりと、勝手に消えろ」

 容赦無い白哉の物言いに、一護は吹き出した。ともかくその言葉を『ルキアは心配するな』ということだと無理矢理に解釈して、一護は踵を返した。

「じゃ、よろしく頼むな。白哉、恋次」
「バーカ。テメエによろしくされなくても面倒見るに決まってんだろ」

 副隊長の言葉は、隊長のそれよりもずっとわかりやすい。彼もまた、『ルキアは任せろ』と言っているにちがいなかった。

「……気をつけろよ」
「おう!」

 背中に投げられた親友としての恋次の声に、一護は振り向いてにかりと笑った。その笑顔を、恋次も笑って見送った。
 一護の立ち去った隊首室には、穏やかな沈黙が満ちていた。そしてそれを破ったのは、副隊長の方だった。

「ルキア、やりましたね」

 隊長は答えず、再び仕事に没頭していた。特に答えを求めていたわけではない副隊長も、再び筆を手に取った。
 開け放たれた窓から、一陣の風と共に、緑色の木の葉が一枚、部屋の中へと迷い込んだ。木の葉はくるくると舞いながら、太陽の光を反射してきらきらと光った。

 

「おーい!心配かけたな!」
「黒崎五席!」

 次に一護が現れたのは、十三番隊の隊舎だった。その姿に、周囲の死神の動きは一瞬止まった。

「朽木さんは!?大丈夫!?」

 一護の死覇装の襟元を掴み、首を締める勢いで問い詰めてきたのは虎徹清音で、激しく揺さぶられながら一護は何とか頷いた。

「だ、大丈夫です……」
「良かった!」

 ようやく手を話してくれた清音に、一護は首を押さえてしばし息を整えた。仙太郎と清音をはじめとして、こちらを見ている同僚たちに、コホンと小さく咳払いをして、一護はもう決めてしまったことを報告した。

「で、あの、俺明日から居なくなるんで。迷惑かけると思うけど、よろしく」

 一護が予想していた驚きの声は無かった。それどころか、水を打ったように痛いほどの沈黙が広がり、一護は気まずさに一歩後ずさった。

「あ、あの……」
「行ってこい!隊長のことは任せろ!」
「あんたはどさくさで何言ってんの!隊長のことは自分が!」
「いや、隊長じゃなくて、仕事を……。ていうか、隊長にはちゃんと仕事するように言ってきたし」
「ホレ見ろ!やっぱ隊長には世話が必要じゃねぇか!」
「世話はあたしがするから必要無い!」
「イヤイヤイヤ。落ち着け」

 言い争いを始めてしまった第三席の二人を、恐る恐る一護が止めた。『隊長が仕事をする』というのが、吐血とイコールで括られているような気がするが、そこは指摘するべきでは無いと本能が教えた。一護の言葉でひとまず平静を取り戻した二人は、ギッと一護の方に向き直った。唐突な展開に、一護は固まった。

「何してる!さぁ行け!」
「そうそう!早く行きなさい!」
「え、いや……仕事の引き継ぎだけして行こうかと……。ていうか、行ってもいい、のか?」
「当ったり前だろうがァ!」

 予想外の反応に、一護は瞬きを繰り返した。行かせてくれることは予想していたが、誰も驚きもせず、そして自分を追い立てる勢いで送り出すことは想像していなかった。
 同僚たちを見れば、誰もが皆、温かく笑いながら自分を見ている。その光景に、今まで彼等にどれだけの心配をかけていたのかを一護は今更ながらに思い知った。

「えーと、ありがとうございます」
「本当に、今から行ってもいいのよ?仕事なんて何とかするし!」
「いえ。バレたら、たぶんアイツに殺されるんで」

 苦笑した一護に、つられるように隊員たちが笑みを深めた。ずっと沈みきっていた第五席がようやく明るい表情を取り戻したことが、ずっと彼を案じていた死神たちには嬉しかった。

「じゃあ、死ぬ気で引き継げ!」
「痛って!」

 げらげらと笑いながら、仙太郎は一護の背中を激しく叩いた。痛みに顔をしかめながらも、一護は楽しそうに笑った。誰もが口には出さなかったが、ようやく全てに決着がつく前兆を感じていた。それがどんな決着かは、誰にも分からなかった。わかっていたのは、この変化をもたらしたのが、誰であるかということだけだった。

「……やるなあ」

 清音は、ルキアがまだ彼に出会う前、影を背負って生きていたころを知っている。小さな、生き辛そうな、美しい死神だった。儚く脆く、折れてしまいそうな身体で、懸命に生きていた。その彼女が、ひとりの死神の魂を救い出した様を、目の当たりにしている。清音の胸に去来したものは、例えば、立派に育った妹を見る姉の気持ちに似ていた。自分も妹なのに、と怖い夢を見ては泣きついてくる本当の姉の姿を思い出し、清音は朗らかに笑った。


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