柔らかな陽の光がルキアの瞼をくすぐった。まどろみから引き上げられ、覚醒したルキアは、突然起き上がると、驚いているコンを尻目にすぐに小物入れを漁った。目的は地図で、それを掴むと、ルキアは立ち上がった。
「コン!私は出かける」
「ちょ、無茶っス!無茶っスよネエさん!」
地図を片手に部屋を出ようとするルキアを、コンが足にぶら下がるようにして必死に止めた。それを引き剥がして部屋の中に投げ込みながら、ルキアは外へと出た。
「たわけ!私の外出が一護に悟られるわけにはいかぬのだ!ここで留守番をして、一護が来たら適当に誤魔化しておけ!私はいつも寝ているし、何とかなるだろう」
追いすがろうとするコンを遮るかのように、ルキアは襖を閉じた。部屋の中からすすり泣きの声が聞こえてきたのは、きっと気のせいだろう。
ルキアはイラスト入りの地図を睨むと、目的の場所へと歩き出した。
「……ここ、か。何とか着けたな」
地図を見て、現在地を指で弾いた。そこには、一護と自分の上司である浮竹十四郎の似顔絵が描かれていた。
おずおずと雨乾堂の中に足を踏み入れると、はたして浮竹十四郎はそこにいた。そしてもう一人、八番隊の隊長が浮竹の向かいで茶を啜っていた。
「朽木!どうしたんだ一体」
「ひっさしぶりだねえ。ボクのこと覚えてる?」
「あ、あの……実はお聞きしたいことが……!」
それぞれの反応を見せる隊長二人を困ったように見つめながら、ルキアは思い切って口を開いた。
追い返されるかもしれない、というルキアの不安は杞憂に終わり、浮竹は手ずから茶を淹れて、ルキアに差し出した。それを一口啜ると、ルキアの緊張がほぐれた。そして、おずおずとここに来た目的を口に出した。
「私と一護は、どういう関係なのでしょうか?」
真顔で放たれた質問に、隊長格二人は情けない顔で固まった。一護がうまく誤魔化せるほど器用な性格ではなかったことを、浮竹は少し恨んだ。
浮竹はやたら楽しそうな顔をしている京楽に顔を近づけ、小声で叫んだ。一護がルキアのことを朽木四席と呼び、必要以上に線を引いて過ごしている以上、迂闊なことは言えない。
「おい!こういう時は何て言ったらいいんだ!自慢じゃないが、俺は誤魔化す自信がないぞ!」
「まあいいじゃない。面白い話も聞けそうだし」
くるりとルキアの方を振り返り、京楽がにっこりと笑いながらルキアに尋ねた。おい!と浮竹が小声で窘めたが、京楽には効かなかった。
「本人は何て言ってたの?」
「……上司と部下、だと」
「本人がそう言ってるなら、そうなんじゃないか?」
明らかに困惑している浮竹が、やや強引に話を纏めようとした。ルキアは小首を傾げて、かねてからの疑問を口にした。
「上司と部下は、同じ布団で眠るのですか?」
ブッ!という豪快な音と共に、二人の隊長は同時にお茶を吹き出した。
「ねえ、その話もうちょっと詳しく……」
「バカやめろ京楽!」
悪ノリしはじめた親友の首根っこを捕まえて部屋の隅に引きずり、再び小声で二人の隊長格は話し合った。浮竹の顔は、弱り果てていた。
「何してるんだあの二人は!?」
「うっかりいつものクセでも出ちゃったんじゃない?あの二人、一緒の部屋どころか、一緒の布団で寝てたんだねえ。きっと布団を敷くのが面倒だったんだねえ」
「感心してる場合か!上司と部下が、そんな理由で一緒に寝るか!ますますどう答えたらいいのかわからないじゃないか!」
「でもあの様子だと、何もなかったみたいじゃない。だから不思議なんだよ。可愛いねえ」
うんうんと頷いて悦に入っている親友をひとまず放置し、浮竹はルキアの方に振り向いた。
真っ直ぐに自分を見つめ、浮竹の言葉を待っているルキアに、浮竹は深く溜息を吐いてから、腹を括ったように早口で話し始めた。
「……悪い。わからないんだ」
「わからない?」
「そうだ。上司と部下である前に、良い友人で、仲間だった。でも、ただの仲間かと言われると、そうじゃない。勿論、恋人同士じゃない。家族……も、なんとなく違うな。本当に、俺も聞きたいくらいだ。お前達を表す言葉が見つからない」
「……そうですか……」
求めていた答えを見つけ出せず、ルキアは目を伏せた。浮竹の困り果てた顔は、嘘をついていないからなのだろう。やはり自分と一護は、決してただの上司と部下だったわけではないのだ。
「ありがとうございました」
ルキアは生真面目に頭を下げた。その仕草に、堅苦しいな、と浮竹は苦笑した。
「気になるんだ?何で?」
面白がっていることを隠しもせず、京楽が尋ねれば、返ってきたのははっきりとした返答だった。彼女の静かで強固な意志に、思わず二人の隊長は居住まいを正した。
「決着をつけなければなりません。……全てに」
「そうか」
浮竹は一瞬だけ顔を歪めたが、それをルキアに悟らせぬようすぐに微笑を取り繕った。ルキアは、改めて頭を下げた。
「それでは、失礼致します」
「うーん、もうちょっとここにいた方がいいんじゃない?」
「ああ、それがいい。待ってろ、京楽が持ってきた饅頭があるんだ」
「え…?」
自分を引きとめようとする浮竹と京楽に、ルキアは戸惑った。掌に押し付けるように饅頭が渡され、ルキアは大きく瞬きをして二人を見た。
「今のうちに食べちゃうといいよ。明日には固くなっちゃうからね」
「あ……はい」
京楽に勧められ、ルキアは手の中の饅頭を一口噛んだ。甘さが口の中に広がる。程なくして、ルキアは饅頭を食べ終えた。
「うん、無事食べ終わったな。間に合って何よりだ」
「あの……どういう……」
「おっと」
ルキアの手から落ちそうになった湯のみを、京楽が支えた。それを知ることもなく、ルキアは眠りに落ちていた。
ルキアの僅かな霊圧の、さらに僅かな揺らぎを、二人の隊長は見逃さなかった。きっと、ルキアは程なく眠りに落ちる。今帰っても、来た時と同じように一護の部屋に戻れない。ならば、もう既に来ている迎えに、彼女を託せばいい。
そう納得した二人の隊長の心配事は、ルキアが無事に饅頭を食べ終えられるかということだった。
「全部聞こえた?」
振り向かず、目を細めてルキアを眺めながら、京楽は後ろに佇む死神に問いかけた。雨乾堂の入り口に佇んだ一護は、小さく頷いた。この二人は、いつ一護が雨乾堂の前に到着したのかもわかっている。今更隠し事などしても意味がなかった。
「……連れて帰ります」
一礼すると、一護はルキアを背負った。その重みは相変わらず、一護の心を絞めつけた。
「朽木は決着を付けるつもりだ。……どうする?」
浮竹の問いに、答えることはできなかった。一護はその声から逃げ出すように、雨乾堂を後にした。ルキアの言葉は、誰よりも一護の心に重くのしかかった。
ルキアは死ぬことを望んでいる。そして過去からも未来からもこの世界からも、一人消えていこうとしている。
そんなことは絶対にさせない。それなのに、どう動けばいいのかわからない。一護はただ、ルキアの心残りが消えないように、ルキアと自分の関係が悟られないように動くことしかできなかった。己の精神の世界で、夜毎何度もあの虚を捜した。けれどその姿は見えず、一護はただ雨の降りしきる世界に立ち尽くしていた。どうすることもできないもどかしさに、歯噛みする日が続いていた。
「ちくしょう」
一護は歩みを止めた。柔らかな風が、一護の頬を撫でた。心の中の雨は止まないにもかかわらず、世界には黄金色の陽光が降り注いでいた。