ルキアは白い着物を着て、流魂街の外れに来ていた。あるのは岩と打ち捨てられた家ばかりだが、静かで、誰にも邪魔されずに感傷に浸ることができるこの場所は、もう何十年も前にルキアが見つけた、とっておきの場所だった。
 そこに、小さな墓を作った。
 小さな箱を埋め、地面の上に石を乗せた。
 弔っているのは、あの少年の母親ではなかった。
 ルキアは埋めた箱の中に、ウサギ柄のシャープペンシルを一本入れていた。この墓はつまり、あの時の思い出と激情とを、ここにひそかに封印したという目印だった。
 過去を懐かしむ気持ちはある。けれど、立ち止まっているわけにはいかない。だからルキアはここに墓を建てた。全てに蓋をして、前を向いて歩き出すために。
 そして、一日だけ、思う存分思い出に浸る日を作った。それを6月17日に定めたのは、誰も知らない、秘密の日を作りたいという子供じみた発想だった。知っている者も多い、自分が現世に降りた日や、彼の誕生日ではうまくない。かといって、もっと小さな記念日の日を選り出すのも、一年にたった一度の特別な日にはふさわしくなかった。

 結果ルキアが選んだのは、彼の母親の命日だった。死神達は誰も知らないその日は、ただ悲しみだけを生み出す日ではなかった。あの夏の日、走り、叫び、雨に打たれて、自分達は歩み寄った。6月17日は、一人で過去を思い出し、甘い感傷に浸り、楽しい思いをするのにもってこいの日付だった。
ルキアは墓に手を合わせ、現世で起こったことを少しずつ思い返した。胸が甘く軋むのは、あの輝く日々にはもう手が届かないとわかっているからだ。風が、長く伸びた髪を優しく揺らす。あの別れから、こんなにも長い時間が過ぎた。
 あんなもの約束ですらない、とルキアは自分に苦笑する。それでも、彼の言葉は、ルキアの心をずっと占め続けている。


 不意に、弾かれたように空を見上げた。信じられないものを見るような気持ちで、天を仰ぐ。
彼と別れてから、一体何年経ったのかもう正確には思い出せない。
喘ぐように浅い息を吐いてから、ルキアは立ち上がり、走り出した。頭はまっしろで、何も考えられなかった。自分の足が、思うように動かないのがもどかしかった。ただ、自分を引き寄せる強い光のような霊圧を目指して、走り続けた。




 瀞霊廷に、警報が響き渡る。誰もが口々に旅禍が侵入した、と叫び、にわかに騒がしくなった護廷十三隊は、厳しい顔をした隊員達が、帯刀して各自配置についていた。
 十三番隊も例外ではなく、ばたばたと走り回る隊員達の前に、一人の死神が現れた。

 その死神は、オレンジ色の派手な髪に、身の丈程の大刀を持った死神だった。目立つ容姿だが、その場にいた誰も、その死神に見覚えがなかった。まるで遠くのものを見ているように、時折まぶしそうに目を細めながら、死神はゆっくりと前へ歩いていた。

「そこの死神!ここは十三番隊の管轄だ!所属は!」

 一人の死神が叫んだ。しかし、オレンジ色の髪をした死神は迷うような表情をして、答えない。

「貴様……旅禍か!?」

 その叫びに、周囲の死神達はざわめいた。全員が抜刀し、オレンジ色の髪をした死神を取り囲む。
 しかし、その光景に取り乱す様子も見せず、ただぼんやりとその様を眺める不審な死神に、周囲は気圧されて、たじろいだ。

 誰もが動けずにいる中、まっすぐにこちらに近付いてくる、席官の気配があった。十三番隊の死神達は、何故彼女がここにいるのかを疑問に思いながらも、救われた思いでその名を呼んだ。

「く、朽木四席!」

 言葉と共に、死神の人垣が道を空けるように二つに割れた。その瞬間、オレンジ色の髪をした死神の動きが、ぴたりと硬直した。
人垣が割れたその先には、白い着物姿のままで、慌てて来たのか息を切らしている朽木ルキアの姿があった。

「お、お待ち下さい!」

 帯刀すらしていないルキアは、目の前の死神を睨んだまま、ゆっくりと前に歩き始めた。慌てて止める声にも耳を傾けず、ただ前だけを見て、進み続ける。その鬼気迫る姿に、死神達は黙りこくり、大人数の中に不自然な静寂が落ちた。
 さして時間もかけず、ルキアはオレンジ色の髪をした死神の前に辿り着いた。息を呑んで見守っている周囲にも気付かず、ただ眼前の死神だけを見て、ルキアは口を開いた。

「旅禍、か」
「ああ。旅禍、だな」

 噛み締めるように、オレンジ色の髪をした死神が言葉を発した
 やはりあの怪しい死神は旅禍だったのだ。一瞬ざわついた気配は、次の朽木ルキアの言葉を一言も逃すまいと、再び水を打ったように静まりかえった。

 次に起きた出来事は、誰にとっても予想外のものだった。朽木ルキアと旅禍の目があった瞬間。固まっていた二人は、同時に動いた。

 伸ばした手は、別れの瞬間、互いに伸ばすことができなかった手に違いない。
 その瞬間、ルキアは息をするのを忘れた。
息が止まり、互いの身体が折れてしまうのではないか不安になるほどに、固く、強く二人は抱きしめ合っていた。
言いたいことは山ほどあった。けれど、腕の力を強く強く込める以外に、この胸の内に溢れる思いのたけを相手に伝える術を思いつかなかった。

「たわけが……!何故私を待てなかった!?」
「気付いたら、浦原さんに拉致られてた。文句言うならそっちに言えよ。あの人、変わってねえな」
「それで莫迦正直に、ここに来たのか。この莫迦者が」

 罵りながらも、決して腕の力は緩めない。腕の中の感触に、確かに会えたのだと実感する。だが、ふわふわした夢の中を歩いているようで、現実味がない。ようやく吐き出した言葉は、たしかに自分の物のはずなのに、どこか遠く聞こえた。
 周囲の死神達は、目の前で繰り広げられる光景に、言葉を失った。そうして、ひとり、またひとりと旅禍の正体に思い至る。オレンジ色の髪、身の丈程の大刀を持った旅禍。長い時間が過ぎ、伝説になった名前を、誰かが小さく呟いた。
 
「黒崎、一護……」

 誰も彼もが、構えていた刀を下げ、呆然と二人を見守った。



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