「戻ったぞ」
「おっせえぞぉおコラァア!」
「うお!?何だよ!?」

 部屋に戻るなりいきなり飛び蹴りを繰り出したぬいぐるみに、力いっぱい頭を蹴られた一護は、とりあえず原因を作った張本人を床に叩きつけた。叩きつけた衝撃で、身体から飛び出す綿の量が多くなったのはきっと気のせいだ。
 ギャー!と叫んだコンに、思わず布団の中のルキアを見れば、この騒ぎには気付かずぐっすりと眠り続けている。ぴくりとも動かないその姿に少し心が痛んだものの、とりあえず安眠を妨げたわけではないと胸を撫で下ろした。
 自分が部屋を出る前と明らかに違うテンションに、何かあったのかとコンに視線で問い質せば、勝ち誇ったように、フェルトの身体を反らしてコンはあっさりと種を明かした。

「手紙だよ!」
「……手紙……?」
「俺にもあったんだ。俺の布団の中にあったんだよ!やっぱり俺は、姐さんの一番弟子だからな!」

 ルキアの作った布団の上に、開けられた封筒が鎮座している。無意識のうちに手を伸ばせば、それよりも先にコンが手紙を抱え込んだ。

「テメェには見せねえよ!これは、俺様と姐さんだけの秘密だからな!読んだら殺すぞ!」

 愛しげに手紙に頬を擦り付けると、コンは改めて布団の上に手紙を置き直した。その内容は、もう何度も読み返し、記憶してしまっている。
 ゴホン、とコンは芝居めかした咳払いで息を整えた。手紙を読ませるわけにはいかないが、少しだけ教えておきたい内容があった。

「おい一護、ちょっとそこ座れ」
「あ?何だよ」
「いいか!俺様はここにいるぞ!ずっとここにいるんだよ!」
「……何だよ、それ。ワケわかんねえ」
「俺様と姐さんの秘密だって言っただろ。ワケわかんねえか。ざまあみろ」

 言うだけ言うと、コンはずかずかと自分の布団に潜り込んだ。コンの軽い身体で手紙が皺になることは無かったが、手紙を傷つけぬよう注意深く身体を横たえた。ルキアの手紙と添い寝しながら、コンは一護の方を見ずに呟いた。

「俺様は昼寝するぜ。姐さんが起きたらメシなんだろ。それまでテメエは部屋の掃除でもして、俺様と姐さんの住環境でも整えとけ。どうせ、夜になったらまた仕事場の仮眠室に逃げるんだから、今だけでもここにいろよ」
「……バカか」

 そのまますっぽりと布団を被ってしまったコンは、返事をしなかった。相変わらず眠り続けるルキアに、動かないコン。不自然な沈黙に耐えかね、一護は黙って部屋を出た。

「すぐ戻る」

 そう呟いたのは、逃げたわけではないという意思表示のようなものだった。一人で外の風にあたって頭を冷やして、ルキアの夕食までに、彼女の前で何でもない顔ができるくらいの精神状態を取り戻さなければならなかった。

「皆、バカばっかりだ。一護も俺様も、姐さんも」

 一護の立ち去った部屋の中で、コンは一人で呟いた。頬の下には、ルキアの手紙の感触がある。目を閉じれば、ルキアの書いた文字が、まぶたの裏に蘇った。
 
……コン、すまぬ。貴様だけは連れて行こうか悩んだ。もしも私と一護が共に死ぬとしたら、私はきっと貴様を連れて行く。諦めて我々と一緒に死ね。だが、もし私だけが死んだ時、貴様は一護の傍にいてやってくれないか。私達が二人同時に消えたら、きっとあの莫迦は耐えられない。きっとあの莫迦はいつものあの情け無い顔で、眉間の皺を増やして、勝手に自分を責めて耐えようとするだろう。どうだ、想像するだけで、苛々して死んでも死にきれないだろう?
 だからコン、すまぬ。すまぬが、あの莫迦の傍にいてくれ。私がそこにいなくても、貴様はそこで、あの莫迦と共に生きてくれ。すまぬ。

 長い手紙の最後の部分だけが、この手紙の本質なのだろうとコンは思った。きっとルキアは、この部分を書くために筆をとった。そして、何度も謝りながらも、自分はルキアの指示通りに動くと、きっと察していた。

「こんなの、死ぬよりヒデェよ、姐さん」

 ルキアの寝息はほとんど聞こえない。生きているか死んでいるかわからない霊圧で、それでもルキアは生きている。これから続く長い長い時間を考え、コンは目眩を感じた。
 ぐらつきかけた意識を支えたのは、頬に触れる紙の感触だった。思わず呟いてしまった弱音を、コンは恥じた。

(最後までは、絶対に諦めない)

 一護の精神世界でそう呟いたルキアの姿を、コンは鮮明に思い描いた。
 まだだ、まだ諦めない。まだ最後ではない。
 コンは息を詰めて、迫る不安を押し殺した。諦めるにはまだ早い、まだ誰も死んでない。
その思考が、奇しくもルキアの幼馴染や、一護とルキアの上司が出した結論と同じものだと、コンに知る由もない。
コンは頭に刻み込むように、同じ言葉を繰り返し思い浮かべた。
俺様はずっとずっと、この二人の傍にいる。片方だけではなく、二人ともの傍にいる。



 同じ頃、一護もまた痛む頬を抑えて空を見上げていた。外の空気は、腫れた頬に染みた。その痛みが、遠くに行きかけた意識を、現実に引き戻す。
「どうすればいいのかなんて、わかんねえよ。ちくしょうめ」

 何故強くなる、と己の中の虚は言った。貴様は私の何だ、とルキアは言った。そのどちらの問いにも、まだ答えは出ていない。
 そして、今自分に何ができるか、ということも、まだわからずにいる。

 自分の中には、朽木ルキアの記憶がある。けれど、もう一度ルキアに斬魄刀を突き立てて、それを流し込むことはどうしてもできなかった。自分の中にいる虚が暴走し、今度こそ朽木ルキアをこの手で殺してしまう可能性が、おそろしかった。
 これから始まる、朽木ルキアとの生活を、一護は想像出来なかった。単なる上司と部下だというその場しのぎの嘘も、いつルキアに悟られるかわからなかった。
 所在を無くして佇む、自分はあまりにも無力だ。
 自分を救うために命を賭けた相棒に、何で報いることができるのだろう。
 一護は頬の湿布を手で擦った。じわりとした痛みは、今この瞬間が、紛れも無く現実なのだと一護に教えていた。
 頭の奥で、雨の音が木霊する。6月17日の雨音は、一護の無力をひたひたと知らしめた。雨の向こうで残響が聞こえた気がしたが、それが何なのか一護にはわからなかった。




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