自分の身体を揺らす心地よい振動で、ルキアは目を覚ました。目を開けると、視界いっぱいにオレンジ色が広がっている。そこでルキアは、あの無愛想な部下に背負われたままの自分を理解した。

「起きたのか」
「ああ」
「タイミングいいな。着いたぞ」

 わずかに身じろぎした気配を感じたのか、一護はルキアに声を掛けた。そのまま目の前の障子を開ければ、部屋の中に居たのは、ずっとルキアの傍に居たぬいぐるみだった。

「ネエさん!お帰りなさい!」
「コン。ここにいたのか」
「取り敢えず、布団敷いた方がいいのか?」

 ルキアを畳の上に降ろしてから、一護は押し入れから布団を出して敷いた。けれどルキアはすぐに横たわる気にはなれず、興味深そうに周囲を見渡していた。この空間には、何となく馴染む気がするのは、この場所を知っているからだろうか。

「私は、ここに住んでいたのか」
「ああ。朽木の家には帰らずに、基本的にここにいたな」
「俺様もここにいたぜ!」
「貴様もこの近くに住んでいるのか」

 のろのろと視線を上げて、ルキアが聞いた。その言葉に、ぴょんぴょんと手を上げて自己主張していたコンが、ぴたりと動きを止める。一護の動きも、僅かに強張った。
 不自然な沈黙の後、降参したように一護が口を開いた。その内容は、驚くべきものだった。

「ここは、俺の部屋だ」

 その言葉をどう解釈して良いものかわからずに、ルキアは固まった。それを見て一護は大きなため息を吐いた。頭を掻いて続けられた内容は、わかったようなわからないような、とても曖昧なものだった。
 この部屋は本来一護の部屋だったが、使っているのはルキアだった。それは、仕事に忙殺されて朽木家に帰る暇も無くなったルキアを見かねて、数人で雑魚寝する仮眠室より良かろうと一護が提案したものである。ルキアの部屋はあるにはあるが、使っていなかったので布団は無かった。自分も忙しかったので、自分は自室に帰るのも煩わしく、職場に近い仮眠室で寝ていた。そんな事情もあって、名目上は一護の部屋だが、実質はルキアの仮眠部屋だった。これから隊舎で生活するのならば、生活用品が全て揃っているこの部屋が妥当だろう。以上。

 明らかにそれ以上の追求を避けたがっている一護に、ルキアは質問するのをやめた。この部下に対して、聞きたいことが多すぎた。
 何から聞けばいいのか、と逡巡しかけた思考は、不意に途切れた。耳の奥でずっと鳴り止まない雨音が強くなったと思った瞬間、ルキアの身体は弛緩し、座っていた身体がぐらりと傾いた。
 意識を失ったルキアの身体を支えたのは、一護だった。その身体を布団に横たえる間、一護もコンも無言だった。
 ルキアに布団をかけたところで、ようやく口を開いたのは、コンだった。

「お前、嘘下手すぎだろ」
「うるせえな」
「姐さんの部屋が隣にあるのに、何で仮眠室にこの部屋使うんだよ。しかもこの部屋に二組布団があるだろ。何だよ、布団が無いから姐さんは自分の部屋を使わなかったとか、適当なこと言いやがって。不自然な事だらけじゃねえか。何で本当のこと言わねえんだ」
「……別に、何もかも全部嘘ってワケじゃねえよ。実際、俺は忙しくてほとんどここに帰ってねえし。コン、悪いけどこいつ頼む。一応、様子は見に来るから」
「だから俺様はお前が嫌いなんだよ。全然質問に答えてねえ。最悪だ」
「じゃ、ちょっと隊長に報告してくる」

 コンの言葉から逃げるように、一護は部屋を後にした。どうして一護が何もルキアに説明しないのか。コンには何となくその理由がわかっている。黒崎一護と朽木ルキアの関係は、きっと一護自身すらよくわかっていなかった。そして一護は、壊れてしまったルキアを前にして、言葉では言い尽くせないかつての自分たちを思い出すことを恐れている。そんな存在を、自ら手に掛けた己を呪っている。

「……くだらねぇ」

 きっと、いつもの朽木ルキアだったら、殴る蹴るの暴行を加えて、叱りつけている。それくらい、一護の背中は頼りなかった。けれど、コンにはどうすることも出来なかった。
 コンはとぼとぼと部屋を出て、隣のルキアの部屋に向かった。ルキアは倒れてから、自分を叩きのめすことはしなかったので、コンはいつもルキアの布団に潜り込み、一緒に寝ていた。だが、せっかく戻ってきたのだから、ルキアが手ずから縫ってくれた、自分の布団で眠りたかった。ルキアと同じ布団で眠れるのは嬉しい。身体をすり寄せても、自分を撫でる手は優しい。けれどそれは、多分コン以外の別のぬいぐるみでも同じだった。
 所々に綿が飛び出た身体で苦労して押し入れを開け、自分の寝床を引っ張り出した。布団だけを持っていこうと思ったので、柔らかい布の端を掴んで引けば、布団から思いがけず布ではないものが姿を現した。

 コンへ

 その手紙には、たしかに自分の名前が書いてあった。封筒に、ウサギのイラストが添えられている。書いたのは誰か、考えるまでもなかった。
 コンは慌ててその封筒を破いた。コンへの手紙は、はたしてその場所でコンを待っていた。







 浮竹は雨乾堂で人を待っていた。霊圧でこちらに近づいていることはわかっていたので、隊員にお茶の用意を言いつけた。二人分のお茶が浮竹の前に運ばれる頃、タイミングよく浮竹の待ち人は姿を現した。何から話せばいいのか考えあぐねている顔で目を伏せた第五席に、浮竹は朗らかにお茶を勧めた。おずおずと浮竹の前に座り、お茶を一口啜ったところで、ようやく一護は口を開いた。

「あの、連れてきました」
「そうか。出来る限りのことはするから、何でも言ってくれ」

 誰を、とわかりきったことは聞かない。強いていうなら頬の腫れが気になるが、その正体も、何となく分かる気がした。

「……あの、手紙があったって、聞いて」
「手紙?……ああ、朽木からの手紙か。あの日の二日後に見つけたよ。仙太郎と清音が、半泣きになりながら持ってきた。もう聞いたのかもしれないが、朽木が管理してた、俺の薬の下に二通隠してあった。一通は俺で、もう一通は仙太郎と清音宛だった。しかも、六番隊の二人宛にも手紙が見つかったらしい。この話は聞いていたかな」

 一護は小さく頷いた。それではきっと、六番隊副隊長あたりが存在を教えたのだろうと見当をつけた。おそらくは、手紙の内容もそう変わりはないだろう。少なくとも、共通する内容が一つは入っているはずだ。

「……何て書いてあったんですか」
「それは秘密だ。……そうだな、はじめからおわりまで、ほとんど君のことだったよ。自分がいなくなって、君の居場所がなくなることを、朽木は何よりも恐れてた」

 朽木ルキアの手紙は、謝罪から始まっていた。それが、他の手紙にも共通していることを、浮竹は知る由もない。

「君を頼む。そればかりだったよ。……でも、もう朽木じゃないとどうしようもない。そうだろう?だから、一護君に朽木を預ける。面倒を見て欲しいわけじゃない。逆だ。朽木に、この状況をどうにかしてほしい。情けない話だが、それが真実だ。あの状態でも、結局朽木に頼らざるを得ないんだ」

 微笑んで浮竹が告げた言葉は、真実だ。自分は結局6月17日の前に立ちすくんだまま、一歩も踏み出すことができずにいる。何かを変えられるとしたら、朽木ルキアただ一人にちがいなかった。

「……ゆっくりでも、どんな結論でも、乗り越えていければいい。幸い、人間とはくらべものにならないくらいの時間がある。何も出来なくてすまない。だが、絶対に俺はお前達を諦めない。もし俺にできることがあるなら、いくらでも頼るといい。これでも、隊長だ」
「はい」

 浮竹の優しさに、一護も僅かに微笑んだ。ぎこちないが、今はまだそれでもいい。

「ありがとうございました。……ちょっと様子見てきます」

 ここ最近、幾分細くなった気がする背中を、浮竹は見送った。この対応はひとつの賭けにちがいない。それでも、可能性があるならば、信じるしか無い。
 もう取り繕う必要の無い顔にはっきりと苦悩の色を載せて、浮竹は大きく息を吐いた。
 かつて失った副隊長に、朽木ルキアの姿が重なる。残された者の悲しみを、誰よりもよく知っているのは彼女だと思っていた。しかし、どうやらそれは思い込みだったらしい。

「少しくらい、考えてくれても良いじゃないか」

 思い浮かべるのは、先程の憔悴しきった一護だった。そして、根本的な解決など何もできずにいる、今の自分たちの姿だった。
 悲しくて惨めでやりきれない思いなど、全員している。
 どうして、と浮竹は子供のように唇を尖らせた。





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