「なあ、朽木。副隊長にならないか?」

 よく日のあたる縁側で、茶を啜りながら、浮竹はもう何度目かもわからない口説き文句を、もう一度口にした。
 正面でやはり同じように湯飲みを持っていたルキアは、またか、というように苦笑する。

「私では力不足でしょう」
「そんなことはない。俺が保障しているんだ。お前は四席で終わるような死神じゃないぞ」

 いつも通りのルキアの答えに、浮竹は口を尖らせる。この押し問答はどちらも折れぬまま、いつの間にか十三番隊の恒例行事となっている。浮竹だけでなく、他の死神にも熱心に勧められるが、決して首を縦には振らぬルキアは、現在密かに賭けの対象になっている。他に本命の隊があるとも思えない。彼女の義兄がそれなく十三番隊の副隊長になることを勧めた時も、決して了承はしなかった。十三番隊第四席朽木ルキアは、いつ首を縦に振るか。数年前までは『10年以内』が主流だったが、今のところ最有力なのは、『絶対に了承しない』だ。
ルキアはちらりと太陽を確認すると、眩しそうに目を細めた。平隊士の頃より長く伸びた黒い髪が、縁側に影を落とす。

「俺は諦めんぞ。海燕もここで、こうやって落としたんだ」
「諦めてください。それに、十三番隊の副隊長は一人だけでしょう」
「……もう、昔の話だろう。そろそろ新しい風を入れるのも悪くない」
「ちっとも昔の話をする顔をしていません」

 もう百年近くも前にいた副隊長のことを、浮竹はまるで昨日のことのように語る。未だ、傷は癒えない。それはおそらく彼を知る全ての者が、抱えている深い傷に違いなかった。
 当事者であった自分もまた、一生かけて抱え続ける傷と痛みだ。ルキアは自分でも気付かぬうちに、横でひとつに括った髪の毛先を弄んだ。

「なぁ、教えてくれ。断り続けるのは海燕のことがあるからか?」
「違います」

 じゃあ何故だ、と口を尖らせる浮竹の表情はまるきり子供だ。
 ルキアは苦笑して、自分の胸の中に詰まっている思いを少しだけ拾い上げた。

「隊長を尊敬しております。しかし、海燕殿のように隊長と共に戦う自信がありません」

 ぐぅ、と浮竹は言葉に詰まった。こうも真っ直ぐに告げられては、何も言い返すことができない。今日のところは大人しく引き下がることにしようと、軽くため息を零す。だが、もちろん諦めたわけではない。
 感情の全てが表情に出る浮竹に、ルキアは微笑を零した。

「ところで、隊長。明日は休暇を頂きます」
「なんだ突然?……ああ、6月17日か。なあ、こっちも教えてくれないか?毎年毎年、何でこの日に休むんだ?気になってしょうがない」

 同僚も他の知り合いの死神も、遠慮して聞けずにいることを、ずばりと言ってのける浮竹の子供のような素直さは、いくら時が過ぎようと変わらない。
 けれど、ルキアは誰にも、決してこの日の正体を教えなかった。自分の義兄にも、幼馴染にも。もうずっと会っていないが、何もかも見透かす変質者染みた強欲商人ですら、この日にあった全てを知っているわけではなかった。
たとえ見られていたとしても、それは一部に過ぎない。あの日の真実は、あの場所にいた自分達の胸の中にのみ存在した。あの雨の日に必死に走り回った、自分と、あの少年と、そしてあのぬいぐるみの胸の中に。
 
「いつも6月17日でしたか?それは、気づきませんでした」
「朽木。その言い訳は、3年連続だ」

 もういい、と不満そうに口を尖らせる浮竹に、すみませんと小声で謝り、ルキアはお茶を啜った。ちらりと時計に目を配れば、花太郎との約束の刻限が迫っていた。

「申し訳ありません隊長。四番隊へ行って参ります」
「なんだ?また四番隊の手伝いか?雛森君にも鬼道を習ってるんだろう。熱心だな」
「兄様にも習っていますよ」
「そりゃすごいな。まさに副隊長向きだ」
「行ってきます」

 まるで諦める気配のない浮竹に一礼すると、ルキアは四番隊へと向かった。




 四番隊は、今日も怪我人で盛況だった。死神は修行でも仕事でも怪我をすることが多いので、いつ訪れても四番隊には怪我人が転がっている。不謹慎だが、鬼道の練習台には事欠かないのでありがたい。

「あ、ルキアさん!この人お願いします!」
「任せろ」

 時間が空く度に四番隊に通い詰めているので、花太郎をはじめとした隊員達も、ルキアがいることには慣れている。隊員は平気でルキアに仕事を頼むし、声をかけてくる。花太郎から患者を譲り受けると、ルキアは治療に集中した。
 切り傷が跡形もなく消え、青く腫れあがっていた患部が鮮やかな血色の良さを取り戻す。その速度に、花太郎が感心したように息を吐いた。

「ルキアさん、本当に治療速度あがりましたねぇ……」
「まだまだだ。鬼道の能力は、いくらあっても足りぬ」

 できた、と微笑むと、手早く次の怪我人を診察し始める。ルキアは治療だけではなく、傷の診断や、応急処置を学ぶことにも力を注いでいる。それだけではない。破道や縛道も達人である兄や同僚に教えを請い、血の滲むような努力を続けている。
それなのに副隊長の位は断り続けているのだから、果たしてそれが何の為なのか、誰にもわからない。見ている方が不安になるような真摯さで、朽木ルキアはもう何十年も修行を続けている。
花太郎は、長いつきあいの中で、ルキアの努力の源が誰であるのかを薄々と察していた。けれど、ルキアを気遣う中で自然に禁忌とされてしまった名前を口に出すことはできなかった。
花太郎の脳裏には、今でもあの少年の残像が鮮明に焼き付いている。


「花太郎。明日は出かけるので、ここには来られぬ」
「え、はい!わかりました!」

 物思いにふけっていた花太郎は、ルキアの一言で我に返った。必要以上に大きな声を出し、挙動不審な花太郎に、ルキアは一瞬不思議そうな顔をしたが、気にせずに治療を続けた。

「あの、お、お出かけですか……と、ごめんなさい!」
「何を言っておるのかわからんぞ。落ち着け」

 微妙な空気を何とか変えようと、必死に話題を繋げようとした花太郎だが、言ってから、明日が『6月17日』だと気付いた。詮索したかったわけではない。必死に手を振って自分の言葉を打ち消そうとしている花太郎に、ルキアは苦笑した。

長く伸びた髪を括り、怪我人を治療する朽木ルキアの姿は美しい。繊細で儚げ、と死神の間では評判だが、その表情が子供のようにくるくる変わることを知っている。

もうすぐ、夏がやってくる。もうずっと遠い昔になってしまったあの年の6月、彼女はここにはいなかった。



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