ある日の昼下がり、その報はまったく唐突に、十三番隊にもたらされた。その一報をはじめに聞いた何人かのうちに、一護とルキアが含まれていたのは、単なる偶然に他ならない。

「大虚……大群です!数は十!未だ動きませんが、人間が襲われるのは時間の問題!現世の駐在隊員は避難済みです!」
「大虚……!」

 多い、と一護は思った。それは大虚の数ではなく、出現する頻度である。自分がここに来て、もう、二度目。それは何故だ?
 考えるよりも先に、身体が動いた。自分が行かなければならない。それは、考えるより先に打ち出された、本能のようなものだった。
 しかし、一護を鋭く制する声があった。仙太郎が、第三席に相応しい厳しい表情で叫んだ。

「待て!勝手な行動は慎め!今から緊急隊首会で、派遣する死神を決定する!それまで動くな!」
「それまで待ってろっていうのか!?あいつらがいつ動くかわかんねえんだぞ!?」
「そうだ!」

 仙太郎の正論に、一護は言葉を詰まらせた。緊迫した雰囲気が十三番隊を包む。誰も彼もが、息を詰めた。そんな中、前に進み出たのは朽木ルキアだった。

「ルキア……」

 ルキアは、一護を真っ直ぐに見据えて口を開いた。その瞬間、ルキアの顔に浮かんだ表情が何だったのかは、誰にも、一護にもわからなかった。

「行くぞ。一護」

 その言葉を聞いた瞬間、一護は動いていた。その言葉を発した上司を背中に乗せ、大虚の待つ現世へと、瞬歩で移動する。一瞬で跡形もなく消えた二人に、誰一人、声を発する者はいなかった。
 ようやく我に返った仙太郎と清音が叫んだ二人の名前は、どちらの耳にも届かなかった。


「既に朽木ルキアと黒崎一護が向かった、と」

 苦々しい顔で、総隊長が呟いた。集まった隊長格は、厳しい表情で総隊長の次の言葉を待っている。
 隊長だけでなく、副隊長までもが集まっているのは、隊長不在の隊への配慮であった。その中に更に今回は、十三番隊第三席の二人の姿も混ざっている。

「はて、誰が適任かの……」

 目を伏せて熟考している総隊長の前に、一歩進み出た死神がいた。

「その任は、私が。……恋次、貴様も来い」
「わざわざ六番隊の隊長と副隊長がお出ましかい。過保護すぎるんじゃないの?あの二人なら、もう勝負はついてるかもよ?」

 軽口を叩いた京楽を、じろりと朽木白哉が睨んだ。自分の発言は、たしかに義妹を心配するものだが、しかし理由が無いわけではない。
 白哉は、自分と修行していたルキアの、自嘲する表情を思い出した。そして、今回、隊首会を待たずに黒崎一護と飛び出して行ったルキアの行動は、あまりにも不自然なものだった。

「ルキアの様子がおかしい。……何か我々に隠している」

 白哉の発言に、周囲が固まった。黒崎一護と朽木ルキア。大虚。朽木ルキアの隠し事というのが、果たして何なのか、誰も想像がつかなかった。
 居心地の悪い沈黙が流れる中、窓の格子の隙間から、突如乱入した気配があった。

「おい、それ、ホントか!?」
「わ、こら!今は隊首会中だ!」
「そうだぞ!待ってなさい!」

 コンの乱入に、仙太郎と清音が慌てた。けれど、身体をねじって無事に室内へと侵入を果たしたコンは、それを無視してもう一度叫んだ。

「おい!姐さんの様子がおかしかったって、ホントかよ!?」

 朽木白哉の目を見るだけで、コンはそれが本当だと悟った。それに気づけなかったことが悔しくて、コンは歯がみした。自分が気づけなかった理由は、嫌になるほど明白だった。
 自分もまた、大きな隠し事をしていたからだ。

 コンは部屋の真ん中に進み出ると、大声で叫んだ。形振りなど構っていられなかった。

「なあ!昔、一護も姐さんも頑張っただろ!?特に一護は、ソウル・ソサエティの恩人なんだろ!?だったら助けてくれよ!一護と姐さんを助けてくれよ!お前ら、強いんだろ!?死神の隊長は、一護と同じぐらい強いんだろ!?だったら助けてくれよ!頼むから!」

 突然叫びはじめたぬいぐるみに、誰もが面食らった。そして、いち早く立ち直ったのは、朽木白哉だった。

「説明しろ」

 コンは言葉に詰まった。あの日に起きた出来事の説明は難しい。本当は、まだずっと胸に留めておくつもりだった。こんなに早く、ルキアが行動を起こすとは思わなかった。ルキアは何も知らないはずだと、気付いていないはずだとコンは思っていた。そして、仮初の穏やかな生活がずっと長く続くことこそが、コンの願いだった。
 そうして知らず知らず、朽木ルキアを侮っていた。
 
 うまく言葉にならない説明の言葉を飲み込んで、コンはわかっていることだけをただ叫んだ。その言葉は、全隊長格を凍らせるだけの力を十分に持っていた。

「このままだと、姐さんが死んじまう!姐さんが一護に殺されちまうんだ!」







 見知った気配が二つ、現世に降りてきたのを感じて、浦原喜助は目を細めた。
 手出しは許されてはいない。他ならぬ黒髪の死神に、そうはっきりと宣告されている。
 先日、彼女がふらりとやってきたのは、意外だった。いつもの調子で応対したがしかし、内心は、彼女の真っ直ぐな眼差しを恐れていた。

『貴様には、聞きたいことが山ほどあるのだがな』

 きつく浦原を睨み据えたまま、ルキアは言葉を紡いだ。そのままはっきりと問い質されることこそを、浦原は恐れた。

『私は今それどころではない。いいか、手を出すな。そして、少し頼まれろ』

 朽木ルキアと果たした約束は、ひどく気が滅入るものだった。彼女は自分に無茶ばかりを要求する。しかし今回に限っては、浦原に拒否権はなかった。
 ただひとつ気が重いことだけを除けば、浦原にデメリットは何もなかった。まったく死に征く者のように、朽木ルキアは完璧に準備を整えていた。その真の意図は、浦原にすらわからなかった。

 朽木ルキアは何も知らない。
 黒崎一護が死神代行を辞めてからのあの出来事を、自分達の誰も話していないのだから、それは確かなことだった。朽木ルキアが立ち去った後に、すぐにぬいぐるみに連絡を取ったが、あの黄色いぬいぐるみも、朽木ルキアに何も話していないと言っていた。それどころか、どこかの屋根の上で、何故そんなことを聞くのか、何かあったのかとひどく動揺していた。
 それでは、朽木ルキアは何かを掴んでいる。それが、自分達の隠し事と無関係だとは思えなかった。
 浦原は溜息を吐くと、答えのでない思考を打ち切った。自分にできることは、ただ、最悪の事態に備えることだった。

 浦原商店の店先に、気がつけば黒い猫が佇んでいた。その鋭い視線を受け止め、浦原は帽子を目深に被りなおした。

「何が起きる」
「さあ、アタシが聞きたいくらいッスよ」
「また、起こるのか」
「近いことは、起こるでしょうねえ。朽木サンがどんなつもりかわからないですけど」

 あの日、浦原商店の地下で、その出来事は起こった。その日の出来事は、口に出すことを恐れるように、誰も話そうとしなかった。あの場所には、浦原商店の店員と、夜一、黄色いぬいぐるみがいた。
 そして、朽木ルキアは居なかった。

「今度こそ、誰かが死ぬのか」

 ぽつりと、黒猫が呟いた。それは問いではなく、独白だった。それがわかって、浦原は何も答えなかった。強くなった風が、古傷に沁みた。数十年前、浦原に生死の境を彷徨わせる傷を付けた相手は、浦原が今までに見た、誰よりも強かった。
 
「今度こそ、殺してしまうのか」

 いつも不遜な幼馴染とは思えない頼りない声に、浦原は大丈夫ッスよ、と答えた。その無責任な声音に、黒猫の瞳が光った。

「その前に、殺します」

 浦原の呟きに、黒猫が息を呑んだ。それは浦原が、数十年の時を経て、括った腹に違いない。親友の覚悟に、黒猫はひとつ息をついた。

「儂も行く」
「お断りッス」
「貴様の言い分など知ったことか。一人で行くことは許さぬぞ。……ほれ」

 くい、と顎で促され、浦原が後ろを振り向けば、武器を携えた浦原商店の店員が立っていた。全員が真剣な目で浦原を見ている。最悪の事態になったら、全員、無傷で帰れるとは思っていない。ここにいる全員が、一度はあの相手に苦い敗北を経験している。それでも、店長を一人で行かせるわけにはいかない、と店員達は思っていた。
 呆れたような、情けない顔で浦原は笑った。

「大袈裟ッスね。戦うと決まったワケじゃ無いッスよ。……まだ、ね」
「そうじゃといいがな」
「それに、手出しは禁止されてる」
「最後には、そんな言葉は無視するつもりじゃろ。そんな言葉は言い訳だ。我々は向き合わねばならない。再びな。」

 黒猫は道にうずくまり、目を閉じた。大虚の群れに、あの二人の霊圧が近付いている。
 今から一体何が起きるのかわからず、黒猫は強く目を閉じた。できることなら、何も起きなければいい。そんなことを、曇りゆく空に祈っていた。






<前へ>  / <次へ>