「オイコラ、他隊の執務室は昼寝場所じゃねえぞ」
「……乱菊さんの許可なら取った」
「どうしてあいつに取るんだよ。この部屋の責任者は俺だろうが」

 十番隊執務室のソファで眠っていた一護は、乱暴に揺り起こされた。銀髪の少年をじろりと睨むと、一護はしぶしぶながら身を起こした。

「お前な、修行も大概にしとけよ」

 一護の傷跡を見咎めて、日番谷は溜息を吐いた。修行で疲れ果てた一護が、自分の部屋にも帰れず、この部屋で力尽きたのだと察するには余りある光景だった。
 ここでさっさと一護を追い出さずに、熱いお茶に茶菓子まで添えて出してしまうのが日番谷冬獅郎の甘さである。

「うめえ」
「そうかよ」

 熱いお茶を啜りながら、一護は目前の少年を見た。かつて見たときも少年だったが、彼は未だ、『少年』と形容するのに相応しい外見をしている。

「冬獅郎って、背伸びねえよな」
「殺すぞ。これでも毎年着実に伸びてんだよ!まだ成長期が来ないだけだ!」
「なんだ、伸びてるのか」
「……何だよ、お前もしかして身長気にしてんのか」
「別にそんなわけじゃねえけどよ……」

 ひどく複雑そうな顔で湯飲みを握りしめる一護に、日番谷はふと思い当たった。同時に、一護が修行に明け暮れる理由にも察しがついた。

「お前、自分が変わってねえのが気になるんだろ」
「……そりゃ、少しはな」
「死神の成長は、霊力のレベルが最高になったところで止まる。……お前は16の時に虚化した。その時の姿で止まるのも仕方ないだろ。仮面の連中と同じだ。そんな理由で修行してんなら、さっさと諦めろ。いい加減身体壊すぞ」
「……わかってる」

 日番谷のアドバイスは、悔しいほど的確だ。皆少しずつ変わっているのに、自分だけがあの頃のままで、いつかこのまま取り残されてしまうのではないかと不安になる。

「わかったんなら、さっさと帰って朽木に治してもらうんだな」
「あいつも今修行中だ。五番隊に行ってる。その後はどっか出かけるって言ってた」
「五番隊?……ああ、雛森か」

 そうだ、というように、一護は軽く頷いた。日番谷は、茶菓子をつまみながら、そういえば、朽木ルキアも負けず劣らず修行ばかりをしていることを思い出した。
 幼馴染が笑顔で報告してくれた言葉を、優秀な脳が再生する。
朽木さん、すっごく強くなったよ。ぼんやりしてると、私も追い越されちゃうかも。あ、勿論負けるつもりはないんだけどね?
幼馴染の意外な負けず嫌いは、朽木ルキアのことを、生徒であり、ライバルでもあると認識しているからなのだろう。自分の幼馴染だけでなく、六番隊の隊長や四番隊に出入りしてまで鬼道を磨いている彼女は、おそらく、優秀な副隊長になれるに違いない。……本人にその気さえあれば。
 他人を詮索するのは好まない日番谷だが、目の前の少年には、少し質問をぶつけてみる気になった。お茶を啜り、噂話の延長のような気安さで尋ねる。実際、質問の理由は、単なる好奇心だ。

「そういえば、なんで朽木ルキアは副隊長にならないんだ」
「知らね」
「いつも一緒に居れば聞く機会だってあるだろ。聞いてないのか」
「浮竹さんに命令されて聞いたことあるけど、『貴様には絶対に教えぬ』って言われた。あと、別にいつも一緒にいるワケじゃねえよ。あいつ、よく一人でどっか行くし」
「なんだ、意外だな」

 四六時中一緒にいると思っていた二人と一匹だが、意外に単独行動も多いらしい。別におかしな話ではないが、イメージの力とは恐ろしいもので、日番谷は少なからず驚いた。
 一護はというと、少し不機嫌そうな表情で、ぽつぽつと言葉を紡いだ。部屋を出る寸前にルキアが、『くれぐれも妙な真似はするなよ』ときつく言い残して立ち去ったことを思い出していた。

「あいつ、割と一人でどっか行くぞ。……昔っからだ。何にも変わんねえ」

 かつて、朽木ルキアが一護の部屋に居候していた頃、彼女はよく一人で外出していた。行き先は大抵浦原商店で、買い物をしたり、世間話をして過ごしているようだった。たまに、一人で散歩している時もあった。そんなルキアの行動を、一護は特に気にしてもいなかった。
 
 彼女が浦原商店に出入りしていたのは、死神達から行方をくらませるためだった。
 彼女が街をあてもなく歩いていたのは、その風景を目に焼き付けるためだった。
 それでは、それが遠い過去のことになった現在、彼女は何のために、どこに向かっているのだろう。

 頭をよぎる暗い想像を、一護は頭を振って追い出した。
 湯飲みを空にして、茶菓子も綺麗に食べ終えてから、一護は立ち上がった。湯飲みを片付けようとする手を、日番谷が制した。

「いい。あとで松本に片付けさせる」
「サンキュ、冬獅郎」
「十三番隊に帰るのか」
「いや、まだ時間あるから、もうちょい修行する」
「お前、俺の言ったこと聞いてたか?」

 まるで懲りていない一護に、うんざりとした顔を向けた日番谷は、深い溜息を吐いた。何を言っても無駄なこういう手合いは、関わらないに限る。無茶すんなよ、とだけ付け加えて、日番谷はそれ以上一護を止めなかった。



「くっそ、痛って……」

 その後の修行で、更に生傷を増やしてしまった一護は、顔を顰めながら十三番隊へと帰還した。自分の部屋に帰る途中で、屋根の上に見慣れた黄色い塊を見つけ、声をかける。油断していたのか、黄色い塊はひどく動揺して跳ね上がった後、一護の方をそろそろと振り返った。

「い、一護……」
「何してんだ、んなトコで」
「うるせえな!俺様にだって、物思いに耽りたい時があるんだよ!」
「そうかよ」

 ぴょい、と軽快な仕草で一護の肩に飛び乗ったコンは、きょろきょろと周囲を伺い始める。誰を捜しているのかすぐにわかって、一護は呆れた。

「ルキアならいねえぞ」
「何だと!?どこに行ったんだ」
「知らねえよ」

「ここにいる」

 背後から突然声が聞こえ、一護とコンはびくりとすくみ上がった。同時にそろりと振り返れば、そこにいたのは柔らかく笑う朽木ルキアだった。

「二人揃って何をしている。特にそこの莫迦。その傷はどうした」
「修行でついた」
「全く……。行くぞ、たわけ共」

 夕暮れ時に染まる廊下を、二人と一匹が歩いていた。途中でコンが喚き、一護がそれに応戦した。ルキアは呆れ顔でそれを見ている……はずだったのだが、いつの間にかルキアも口を挟み、最後には全員で騒いでいた。それは、いつもと変わらぬ日常の光景だった。






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