「やあ、こんにちは」
「京楽隊長……!」
「浮竹いるかな?」
「少々お待ち下さい!」

 唐突に現れた他隊の隊長に、仕事中の一護とルキアは少なからず驚いた。浮竹の様子を伺いに来たと朗らかに笑う京楽に、ルキアは慌てて雨乾堂へと消えた。
 その様子を黙って見送っていた一護は、再び机の前で仕事に戻ろうとしたものの、自分に投げつけられる無遠慮な視線に仕事を続けることもできず、眉間の皺を一本増やして京楽に向き直った。

「……なんすか」
「浮竹の所に遊びに来たついでに、君達を見物しようと思ってたんだよ。元気かい?色々やらかしてるみたいじゃないの」
「特に何にもやってねえよ」
「ま、本人達がそう思ってるならいいんだけどね……。ところで、ひとつと〜っても気になることがあるんだよ。教えてくれるかい?」
「嫌だ」
「つれないねぇ。君がコッチに来た日、二人でどこで何してたの、って聞こうと思ってたんだけど。教えてくれないの?」

 目を輝かせて尋ねる京楽の視線は、明らかに何かを期待していた。直接雨乾堂に行かずに、わざわざ狙ったかのように一護とルキアの前に姿を現した理由はこれか、と一護は思い至る。またか、と溜息を吐きたい気持ちになった。

「特に何にもしてねえって何回言わせるんだよ」
「やっぱり秘密かい。つれないねえ」

 京楽は大げさな溜息を吐いた。やれやれと天を仰いで見せる仕草に、一護の眉間の皺がさらに増える。苛立ったまま余計なことを喋る前に、京楽隊長、と息を切らしながらルキアが戻ってきたのは有り難かった。

「浮竹隊長がお待ちです」
「はーい。じゃあまたね、二人とも」

 京楽が立ち去ったのを見届けると、どっと疲れた一護はそのまま机に突っ伏した。心配そうに見つめるルキアに、顔は伏せたまま手を振って、何でもないことを伝える。ルキアは納得したのか、『茶でも飲むか』と言って退席した。

あの日のことは散々色んな死神に詮索されたが、本当に何もなかったので、答えようもない。
あの日、まるで死神代行最後の日のように、一護とルキアはほとんど会話を交わさなかった。
 頭が、勝手にここへ来た日の記憶をなぞる。長い髪の朽木ルキアを背中に乗せて、一護は『墓』へと向かった。それは、母の墓ではない。
その場所はたしかに、死神代行と、力を失った元死神の墓だった。
埋められているのはあの日常に詰まった感情と、思い出と、もう一つ。

『ウサギのシャープペンシルだ』

ルキアは長い髪を揺らして、少し得意気に微笑んだ。未だ再会に現実感はなく、その髪の動きを目に焼き付けながら、一護はぼんやりとその言葉を聞いていた。

「手向けの花を持ってくるべきだったな」
「誰に」
「我々だ」

 ルキアが花を手向けたかったのは、もう戻らない、かつての自分達なのだろう。それがわかって、一護は返事をしなかった。返答は必要ないとわかっていた。
 長い時間が過ぎた。けれど、それが本当に長かったのか、短い時間だったのか、一護にはもうわからなかった。ずっと夢をみていたのかと誤解しそうな程、自分の姿は、かつての死神代行そのものだった。

「一護」

 ルキアが、改まって自分の名前を呼んだ。その表情に笑顔は無い。まっすぐに大きな瞳を向けられ、一護は少し、たじろいだ。
 自分の知らない場所まで見透かされそうな大きな瞳が、一護を射抜いていた。その視線を逸らすことも許されぬまま、一護はまっすぐにその瞳を見つめていた。

「……本当に、貴様だな」
「……当たり前だろ」

 ルキアの質問の意図が読めないまま質問に答えれば、ルキアはその視線を外さないまま、一護を見つめて再び口を開いた。

「それならばいい」

 質問の意味は、一護にはわからなかった。しかし、それがルキアにとってとても重要なことであることはわかったので、一護は追求をしなかった。
 いつか、話したいときに話せばいい。
 そう自然に思えたのは、かつて彼女がそうやって自分を待っていてくれたからだった。

 一護から視線を外すと、ルキアはもう普段の調子に戻っていた。緊張を解いたルキアは、髪や着物が汚れるのも構わず、おもむろにその場に横になった。

「何だか、どっと疲れた」
「歳じゃねえのか」
「一日のうちに二度も死にたいとは、物好きだな。手伝おう」
「最悪だ、それ」

 言い合いしながらも目を閉じてしまったルキアの隣に、一護も横たわった。目の前の空も、流れる空気も、死神代行最後の日と同じだった。無造作に置いた指先はちょうど、朽木ルキアの指先と僅かに重なる位置で、そのかすかな感触に、一護は目を閉じた。
 再び自分はこの場所に来たのだと、ようやく一護は納得した。僅かに触れた指先から感情が伝わるはずもなく、ルキアが何を考えているのか一護にはわからなかった。けれど、自分をずっと導いてきた死神の、存在を確かめるには十分だった。

 
 目を閉じた一護の横で、ルキアは閉じていた瞳を再び開いた。視線を一護には向けず、爪先でそっと一護の指先をなぞった。かすかな仕草に、一護が気付いた様子は無い。
 不意に、ルキアの瞳が揺らいだ。
 こみ上げる不安を隠すように浅く息を吐き、衝動をやり過ごす。唇を噛み、ルキアは呟いた。刹那に歪んだ顔は、目を閉じていた一護に悟られることはなかった。

「信じるぞ」

 彼はたしかに黒崎一護だ。それならば、それだけで、ルキアは満たされた。それは、嘘偽りのない本心である。そう納得すると、ルキアは目を閉じた。触れ合った指先は、空気と同じ温度で、本当に触れているのかどうかわからなかった。
 ルキアは、指先に力を込めた。驚いたことに、同じタイミングで、相手の指先からも力が伝わった。

「何、悩んでんだ」
「……下らぬことだ」
「だろうな。テメーはいっつもそうだ。ちっとも変わってねえ。グダグダ悩んでたって仕方ねえだろ」
「それもそうだ」

 驚くほどあっさりと、ルキアは一護の言葉を受け入れた。息を吸って、はっきりと宣告する言葉に、どれほどの意味があるのかは、ルキア自身にすらわからない。

「迷わぬ」

 そうまっすぐに告げ、ルキアは空を見上げた。その瞳にもう翳りはなく、あの日と同じ空の色を、ルキアはずっと見据えていた。

「それでいい」

 小さく笑いながら一護が応えた。そのまま、二人は無言だった。流れる風に身を任せて、一護とルキアはかつての日々を思い出していた。
 横たわったせいで、汚れて乱れてしまった衣服に、周囲がどんな想像を巡らせるかは、二人とも考えてはいなかった。






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