「ん?ネエさんの霊圧……。ネエさん近くにいるのか?」
道無き道を歩いていたコンは、愛してやまない女神の霊圧に振り向いた。だが、真っ暗で何も見えない。女性死神協会というエデンを探し歩いてもうどれくらいの時間が経ったのかはわからないが、この先にきっと夢の園はあるに違いない。
『会長』を名乗っているらしい十一番隊の副隊長を先頭に、女性死神席官がぞろぞろと移動しているのを目撃したコンは、これ幸いとばかりに尾行を開始した。……はずだったのだが、首を傾げたくなる程トリッキーな動きの数々で、コンはあっという間にその集団を見失ってしまった。追っ手を警戒しているのとも微妙に違う、まるで彼女達が何かから隠れているような動きである。しかしその理由は、コンにはわからなかった。ただまっすぐに、かすかな気配と自分の勘を頼りにエデンを目指して突き進むのみである。
真っ暗な道を突き進み、疲弊しきったコンの身体が、ぐらりと崩れ落ちた。その拍子に、コンが手をついた壁がカチリと音を立てて動き始めた。
「え?」
気がつけば、ぽっかりと四角く切り取られた壁の向こう側に、明るく照らされた隠し廊下が現れた。そして、その先に重厚な木の扉が取り付けられた部屋があった。その扉の横には、たしかに『女性死神協会』と力強い筆文字で書かれた木の札が掛かっている。
「つ、遂にエデンが!この先には待ち望んだ天の国が!」
コンは涙を流し、大きな扉めがけて駆け出した。そして扉に触れた瞬間、耳の横で風が揺れたような気配を僅かに感じた。
「ギャアアアアア!」
とっさに横に飛び退いたコンは、先程まで自分がいた場所に深々と突き刺さった日本刀を見て、恐怖のあまり叫んだ。こつん、と背後に誰かの足音が聞こえ、冷や汗を流しながら振り返る。
「侵入者……」
それは、他の死神と全く違う死覇装を着た美女だった。その顔立ちは、人形のように美しく、そして表情がない。
丈の短い死覇装から覗く美しい脚も、服の上からでもわかるその豊満な胸も、楽しむ余裕がコンには無かった。
恐怖に震えるコンの横で、物音がしたかと思うと、木の札がくるりと回転し、中から桃色の髪をした少女が顔を出した。
「何してるのー?早くお菓子食べよー!!もしかして、びゃっくんまた気付いた?」
「いいえ会長、なんでもありません。朽木隊長は、今は義妹との修行中で、多少騒いでも気付かれることはありません。計画は完璧です」
「そっかー!そうだよね!」
「会長。私は忘れ物をしたので取りに行って参ります」
「わかった!いってらっしゃーい!」
元気に手を振る少女の姿が消えると、再び木の札がくるりと回転した。謎の美女の影に隠れていたコンは、気付かれなかったことに安堵の溜息を吐いた。
「この扉は、囮です。迂闊に触れると霊子に戻ります。本当の扉は、あの札です。……帰り道をご案内します。行きましょう」
「俺様を助けてくれるのか?」
突然の展開に、コンは驚いて美女を見上げた。美女はやはり無表情のまま、コンの問いかけにこくりと頷いた。
「申し遅れました。私は、涅ネムと申します」
「涅……ってことは技術開発局の……」
コンにとっては、技術開発局は自分を生み出した場所でもあり、そして自分を消そうとした場所でもある。忌まわしい記憶を頭を振って追い出すと、ネムを改めて見上げた。非の打ち所のない、つくりもののような美女が、表情を失ったまま自分を見ていた。
胸にわき上がった感情をうまく言葉にできず、コンはその場に黙り込んだ。気まずい沈黙が続いてから、コンは自分が名乗っていないことを思い出した。
「あ、俺様は……」
「『コン』。モッド・ソウル。知っています」
静かに、ネムが自分の名前と、自分の正体を口にした。話すきっかけを見失い、またコンは口を噤んだ。次に口を開いたのは、意外なことに、ネムの方だった。
「……私は、マユリ様につくられました。貴方と同じです」
「え、アンタも作り物なのか?」
「はい。私の身体も、魂も、つくったのはマユリ様です」
淡々と返事をする、その表情はやはり変わらない。自らをつくりものだと告白したネムは、少しだけ目に興味の色を宿らせて、コンを見下ろしていた。
「その身体は、動き辛くありませんか」
「そんなワケねえだろ!これは、ネエさんが俺様のために用意してくれたパーフェクトボディだぜ?これ以上の身体は考えられねぇな!」
あ、でもちょっとカッコいい男の身体は欲しいかもな……、と真剣に考え始めたコンを、ネムは僅かに微笑んで見守った。自分の身体を見つけたのは朽木ルキアだと言っているが、おそらくオレンジ色の髪をした死神もまた、身体捜しに奔走したのだということは想像に難くない。
「名前は、どなたがつけたのですか」
「一護のヤロウが『改造魂魄だからコンだ』って勝手につけたんだよ……。俺様はカイの方がカッコ良くて良かったんだけどな。いくら文句言っても聞かねえんだ」
まったくアイツはよー、とコンがいつもの文句を零すと、ネムがはっきりとわかるくらいに微笑んだ。固く口を閉ざしていた花が開くような、美しい微笑みだった。
「今が、楽しいですか」
ネムが、静かな声で問うた。その言葉に、コンは口を噤んで少し考え込んだ。沈黙が続き、ぽつりとコンは言葉を零した。
「楽しいぜ。俺は、ずーっと、ずーっとこの時間が続けばいいと思ってるんだ。ずーっと続かせるんだ」
その言葉に、普段のふざけた響きはない。ネムは無言で、自分と同じつくりものの決意を聞いていた。
「……私の名も、私の身体も、マユリ様が与えて下さいました。光栄なことです」
「今、楽しいのかよ」
コンの言葉に、ネムは答えなかった。複雑すぎる感情に、ネムは自分の中で言葉を探しあぐねていた。
そのまま無言で歩き続け地上に出ると、コンにとって意外な人物の姿が見えた。相手もこちらに気づき、慌てて走り寄ってくる。
「コン!?……と、涅副隊長!?」
「あ、ネエさん!?どうしてここに!?」
「どうしても何も、ここは朽木家の敷地内だ」
「へ?どういうことだ?」
「それでは、私はこれにて失礼いたします」
「あ、はい……コンがご迷惑をおかけしませんでしたか」
「いいえ。とても楽しかったです」
よく事情が飲み込めていないルキアとコンだったが、ネムはそれを説明しようとしなかった。この二人に女性死神協会の在処がばれてしまうのは得策では無かった……というよりも、ネム自身の無口な性質のせいである。
朽木家の敷地内で、堂々とネムは踵を返した。その動きを止めていいのかと朽木ルキアが迷っているうちに、女性死神協会に帰ってしまおうとネムは考えていた。けれど、ふと思い立ってネムは足を止めた。
「……また、いつか。お話してください」
柔らかく笑んで、ネムは返事を待たずにその場を後にした。呆然とするルキアとコンは、ここが朽木家の敷地内であることも忘れ、建物の中に消えていくネムを見送った。
「コン、説明しろ」
「俺様にも何が何だか……」
「全く。私は兄様との修行が残っているから、一人で帰れ。……それにしても、よく無傷で助かったな」
ルキアは笑うと、無事を確かめるようにコンの身体を軽く叩いた。それだけの仕草で、コンはたまらなくなる。やはり、ルキア姐さんは最高だ。ルキアの美貌も人形じみているが、ルキアはこんなにも温かくて優しい。表情だってくるくる変わる。
「姐さん!早く帰ってきてくださいね!」
ルキアの手からぴょんと跳んで離れると、コンは朽木邸を後にした。どう考えても女性死神協会本部がこの屋敷の中にあることは、自分を助けてくれたつくりものの美女に免じて知らない振りをしておいた。
ネムと名乗ったあの美女は、自分の名前と身体をどう思っているのだろう。自分よりもずっと精巧にできたあの身体は、あの持ち主に愛されているのだろうか。
「くそっ。俺様のキャラじゃねぇ」
首を振って余計な感傷を追い出した。
コンは歩きながら、遠い遠い昔のことを思い出していた。まだ皆で一護の部屋に居候していた頃のこと。騒がしい日々は、コンの記憶の中できらきらと輝き続けている。
長い時間、コンはこの時間が再び訪れることを願っていた。それが手に入った今、この時間を長引かせるためなら、自分は何だってすると思っていた。それが、絶対にあの二人には教えてやらない、コンの決意だった。