窓を開け放つと、真咲は、ふわりと笑って膨らんだ腹を撫でた。まるでおとぎ話のように、その中に一つの命が眠っている。窓の形に切り取られた陽だまりに座り込み、目を閉じてその気配をもっと深く探ろうとした。けれど、目的を達成する前に、育児雑誌を買うことが最早趣味になりつつある夫が、唐突に窓を開け放った妻の気配に、バタバタと慌しい足音を立てて駆け寄ってきた。床に座り込んだ妻を見てまず騒ぎ、彼女が動く気配が無いのを悟ると、柔らかなアイボリーの毛布をもって再び妻へと駆け寄る。真咲はにっこりと笑い、毛布を肩に被った。
春の陽光を滴らせた風が、ぶわりと舞った。
浦原商店の縁側で、その瞬間、浦原喜助は閉じていた眼を開いた。風に乗って転がった帽子を追うこともせず、寝転がった姿勢のまま、遮る物の無い瞳で、空を見た。雲ひとつ無い青空。そして、口の端を吊り上げる。
「早くおいで」
浦原は小さく呟いて、眠るように、祈るように両目を閉じた。
全く同じ時間、黒猫は親友とは全く別のものを見ていた。白い仮面、それを屠った死神の少女。彼女の瞳は空虚で、その中に光はない。何も興味が無い素振りで、しばらくぼんやりと虚空を見つめていた少女は、すぐさま地獄蝶を取り出し、異界への扉を開けた。にゃあ、と夜一は鳴いた。その強い声に、死神が一瞬だけ、振り向いた。深く翳る紫の瞳に、金色の太陽が映る。
「あと少し」
死神の少女が立ち去り、誰も居なくなった空間で夜一は呟いた。そしてすぐに艶やかな毛並みを翻すと、その場所から立ち去った。
その頃、黄金色の陽光の中で、今度こそ真咲は目を閉じた。祈るように、膨らんだ腹を撫でる。そこに眠る命が、とくとくと動いているのを感じた。こみ上げる幸福に、顔が綻ぶ。
どうか、この子の未来が幸せに彩られますように。
「早く、出ておいで。ここは、とっても素敵なところよ」
呼びかけに応えるように、腹の中の命は身じろいだ。その感情が伝わった気がして、目を閉じたまま真咲はゆるりと微笑んだ。腹の中で眠る我が子は、きっと今、笑っている。